子供を金で釣るのはダメなやり方か。

子供に公文式を習わせているのだが、最近子供にとって公文のプリントをこなす時間がただ苦痛でで、面倒で、先延ばしする対象となってしまっている。結果公文を終えるまでにいたずらに時間がかかり、苦痛を味わう時間がどんどん長くなる、という悪循環に陥っている。
本来、公文を習わせ始めたのはこういう意図だった。http://d.hatena.ne.jp/kabalah/20090129#p2
けれども、苦痛でしかない時間を無理に子供に強いるのは親も苦痛である。それが本当に子供にとって役に立つ、と信じているならば、それを何とか子供にも共有させたい、と思う。

教育というものは、より楽しく人生を遊ぶために本来あるべきだろうと思う。http://d.hatena.ne.jp/kabalah/20050113#p2
しかし一方、社会性を身につけ、社会で生きていくための忍耐力を身につける、という側面が必ずある。だからこそ社会はそれを「義務」教育とする。
受験勉強が社会からの理不尽な命令にも従順に従う忍耐力のある適性を選抜している、という意見は以前に述べた。http://d.hatena.ne.jp/kabalah/20060206#p2

さて、公文式のプリントを制限時間内にこなした枚数x1円を、月々の子供のおこずかいに上乗せする、としたらどうだろうか。
勉強とは自分の為にするのであり、お金の為にやるようになってしまっては本末転倒であり、報酬が無いと何も努力しない子供になってしまう、というような理想論があるのはわかっている。
けれど、公文式で親が子供に達成させたいような、身につけさせたがっている能力というものが、上記のような社会の要請に従う能力であったとしたら、結局はそれは、生きていくため、お金を稼ぐ為に必要な能力であるにすぎないのではないだろうか。
だとしたら、金銭報酬を動機にして身につけていっても何ら問題ないと思うのだが、、、
本来その子供が興味を持ち、自分で追求したいような方面については、このような報酬を設けなくても、自分から進んで取り組んで行くだろう。その興味の追求だけで、飯も食べていけるなら、本当にそれに越したことは無い。けれど、そうした形で飯を食えている例が、稀だと思うからこそ、親は子供に公文式を強要している。
それなら、むしろ最初から報酬目当てで、「労働」としての勉強をこなし、効率よくそこを乗り切って、本当に自分のしたいことに使える時間を捻出させた方が、理に適っているのではないだろうか。