ちゃんとした人になってほしい。

4歳の長女を公文式に通わせている。
自分が公文で計算が速くなり、学校の小テストなど常に一番早く解き終わり、正解率も高く、気分よく休憩時間を過ごせたこと。さらにその好循環に乗り、受験競争社会を苦痛を感じることなく、比較的うまく乗り切ったこと。これが自分にとってはアドバンテージだったと感じられるので、子供にもできれば同じように、苦痛なく学業をこなして欲しい、という思いから、子供が興味を示したことをきっかけに始めた。
だが、最近同じことの繰り返しばかり続く公文式に子供は飽きてしまったみたいで、やっている最中にも集中力が続かず、午後の時間であることも手伝って、すぐ眠くなってしまうようだ。
今日は、ちょっと真剣に「ちゃんとしなさい」と叱って公文をやらせた。そのことに、後味の悪さはある。
子供が本当に興味を示し、楽しんで出来ることから学ばせてやりたい。そういう理想はある。けれど、楽しいことだけを求めていては身につかないこともある、と思う。集中力や計算力、そういったものがそうだと思う。
自分の現在のために自分の未来を犠牲にするのではなく、自分の未来のために自分の現在を犠牲にできる能力のあることを「ちゃんとできる」と呼ぶなら、子供には「ちゃんとできる」人間になってほしい。
その方が、子供自身にとってより楽しい将来が訪れるはず、と信じるからだ。
けれどこれは結局、子供のため、と言いながら自分の理想を、自分が味わった苦労を味あわせようとしているにすぎないのだろうか。
私にはわからない。けれど、これが子供のためになる、と今は信じられることを、してやるしかない。