公文式

4歳の子供を公文に通わせることになった。
テレビのCMを見て、本人がやりたがったのが最終的な決定だった。
私自身、少年時に公文をやって、計算が速く、正確にできるようになった。そのスタート時のアドバンテージのおかげで義務教育一般から受験戦争という子供時代にある程度の勢力をもつ価値規範世界の中を上手に泳ぐことができた、と自分では考えている。だから、子供にも積極的にやらせたい、という思いがある。
もちろん、公文をやれば誰もがうまくいくわけではなく、向き、不向きということはあるだろう。たまたま自分はそういう前頭葉を使った他人とのレースが楽しめる性格だったというわけだ。
けれども、どうせ小学校から12年続く(正確には9年だが)義務教育の6時間x週5日x(365/7週)x12年≒18000時間の時間を、苦痛に思いながら過ごすよりも、楽しく、気軽に過ごして欲しいという気持ちが親としてはある。
もちろん、本人が公文自体が苦痛になるようなら当然やるべきではないが、もし、楽しんでやって行けるなら、本人にとって比較的楽しい18000時間が待っているはずだ、と親としては期待するのである。