無神論的立場表明

いまどき改めて表明するほど珍しい意見でもないが、私は神様とか、死後の世界であるあの世、とかの存在を信じてはいない。もちろん、無限とか、宇宙の果てとか、超越者というような概念は存在しうることは理解しているが、言及できないものにしろ、自分の死後には、自己意識の消失があり、時間的に継続していると感じられる現在の自分の意識にとって何か決定的な変化、が訪れ、その事態は、私の外部からすると、私の消滅、と言わざるを得ない事態であることを理解している。
そういう死生観に立つと、死後の報奨を求めて生前に道徳的善行を積もうというようなモチベーションは消失するわけで、現世利益が得られる方向で常に私のモチベーションは動く。つまり自分の死後に誰かが得をするというような、生命保険には基本的に興味がない。
しかし、その現世利益が、刹那的なものでよいか、ということになると、そうでもない。
例によってDialogueより引用

2-9
中略
ペネトレ:まえに、ちゃんとした人とどうしようもないやつの区別をしたの、覚えてる?(→1-3)ちゃんとした人っていうのは、自分の未来のために自分の現在を犠牲にできる人のことなんだ。逆に、自分の現在のために自分の未来を犠牲にしちゃうのがどうしようもないやつさ。ついでにいえば、他人のために自分を犠牲にできるのが善人で、自分のために他人を犠牲にしちゃうのが悪人なんだけど、善人や悪人になれるのはね、ちゃんとした人だけなんだよ。どうしようもないやつは、ちゃんとした悪人にさえなれないんだよ!
後略

闇金ウシジマ君」とかではこの「どうしようもないやつ」ばかりがこれでもか、と描かれるわけだが。
この略した部分にも重要なことが書いてあり、「ネクラ」な人は、ちゃんとした人になるために、何らかの理想が必要、ということが言われる。
自分は現世利益も、ちゃんとしたものが欲しいので、未来のために現在を犠牲にすることは厭わない覚悟はあるのだが、もとが「ネクラ」で、かつ理想がないので、非常に苦労する。

外来患者は増やした方がいいのか。
貯金はなんのためにするのか。
健康維持のために、毎朝、心に鞭打って寒い中ランニングに出て行くのは、果たして本当に「楽しい」か。
何らかの創作活動をするとして、それは本当に自分一人で楽しめるものか。

未来のことを考えるとき、こうした迷い、というかこうした不透明感がつきまとう。