病気腎移植について。

宇和島徳洲会病院で行われていた病気腎移植について。
あまり情報が無いので、この件について正確な評価はできないが、自分の専門領域における事件であったので何か思うところを書き残しておくべきと考えた。
事件概要:日本の腎移植希望者に対して圧倒的にドナーの数が足りない生体腎移植の現況が背景にある。
腎不全者を救済するという目的の元、万波医師が倫理委員会など必要な手続きを通すことなく、現状一般的とは言い難い、病気腎を腎不全者に移植する手術を行っていた。
評価:どの程度の病気腎を移植していたのか、私には情報は無い。しかし、腎癌や腎盂癌で摘出した腎まで移植していたという噂を聞いた。
もし悪性腫瘍で摘出した腎を移植していたなら、二つの観点で許されることではないと考える。
一つは、どんなに移植医療が進歩したとしても移植後に免疫抑制剤を使うはずであり、そうであれば、たとえ異種細胞に対する宿主の免疫が働くといっても、癌細胞が含まれている可能性のある組織を移植するというのは、レシピエントにとってリスクが大きすぎるといわざるを得ない。
もう一つには、もちろん腎癌で摘出した腎から、腫瘍部分を切除して移植に使ったのであろうが、もしそれが可能なら、そもそもそのドナーから腎摘をする必要はあったのか、という話になる。腎部分切除ができないくらい腫瘍が大きいか、切除の困難な部位に発生しているからこそ、腎摘が行われているのであり、ということはその摘出した腎から腫瘍を切除して移植に使うというのは困難なはずである。
ということは逆に腎摘をする必要は無かったような症例を、腎ドナーとするために無理やり腎摘としていた可能性が出てくる。

一つ特記しておくべきことは、腎不全は死に至る病ではない、ということだ。腎不全が致死的な疾患であれば、病気腎を移植してでも生き長らえたい、という選択肢はありうるけれど、透析という腎代替療法が存在する以上、そのような理屈は通らない。
ネット上では、透析生活のQOLの低さを前に出して、それよりは病気腎移植の方がまし、などという論法もあるようだが、腎移植も免疫抑制剤を一生飲み続けなければならないというハンデを背負うことになり、私に言わせればそこまで完璧な夢の治療というわけではない。特に病気腎から癌を移植されたという結果になれば、透析していれば、予後は20~30年は期待できたが、3~5年の命となってしまうのである。

新たな医療の進歩はそれまでタブーとされてきた領域にある程度踏み込むことで為される、それは確かにそうかもしれない。将来的にはこの万波医師の考えが一般に支持される日も来るのかもしれない。
しかし、しかるべき手続きを踏まなかった、という点はやはり非難されるべきことだろう。倫理委員会というしかるべき手続きが存在し、それを誰もが知っているところである手続きがあり、それを通すべき懸案であるということを当然感知できるような問題であるのに、それを無視して、自分の独善に走ったということは、たとえ患者からの訴えが無く、実害が出なかったとしても、非難されるべき点であると考える。
ネット上でも言われているように、移植をラディカルに推進していた万波医師の行為の結果は、こうしたスキャンダルによる、日本医療における移植領域の後退、萎縮というマイナスの結果をもたらすことになるのである。