理想の診療

私が理想とする診療は、標準化された診断、治療方針決定と、差別化された治療技術である。
もちろん、手技の巧拙によって、リスクとベネフィットが変わってくるなら、それによって治療方針も変わってしまうともいえるので、手術の巧拙が治療方針決定の標準化を妨げてしまうと言う可能性もありうる。それは由々しき事態だが、、、
私は外来診療を行うとき、検査、診断を中心に行うわけであるが、誰がやっても同じ診療になるような診療を心がけている。外来担当医が変わったら方針が変わるような、検査、診断、方針決定が行われるようでは困る。そこは厳密にEBMが生かされるべき領域である。
他方、TURP、経尿道的手術のような手技的なことが大きくものを言う、実際の治療に関しては、術者によって、結果が大きく異なるのは当然の結果だと思っている。私は自分は器用なほうだと認識しているし、当然見るからに不器用な医者もいる。私とその不器用な医者が同じ手術をしたとして、私のほうがきれいな仕上がりと、良好な結果を得られるのは当然である。だから、この領域では、手技を客観的に評価する外在団体が存在し、術者のうまい、下手を評価するべきだと思っている。うまい術者には当然それに見合う、多額の診療報酬が支払われるべきであるし、逆に下手な術者には安い診療報酬が支払われるようにするべきである。大工にしろ、製造業にしろ、すべてそのような技術評価体系が存在する。手術手技についてはなぜか現在はそうはなっていないが、医療についても当然そう在るべきと私は思っている。
テレビなどで「スーパードクター」などと特集が組まれていることが多いが、私はあれはかなり誇大に評価されており、手術手技に関しては実際それほどたいしたことをしているとは思えない。客観的で公平な手技の評価体系ができていないからこそ、あのようにうわさだけが雪ダルマ式に膨れ上がって「神の手を持つ男」などという誇大な評価につながってしまうのである。
脳外科や心臓外科領域において、症例経験数が手術手技の巧拙に大きく影響するのは間違いないことであり、総数としての症例が少ない以上、脳外科心臓外科の「名医」となれる医者が少なくなるのは自明のことだが、それでも、器用不器用も含めて、実際にその手術手技がうまいのか下手なのかをきちんと評価する外在団体が必要である。そうした団体の評価をもってしてはじめて、その手が「神の手」であるかどうかが問われうるのである。
そういう理由で、私はテレビでやっているような「天才脳外科医」などという言葉を信用はしない。たまたま多くの症例を診る機会に恵まれた医師であったと言うだけであって、本当にその手技がその評価に妥当するものかどうかはわからない。

手術がうまいかどうかをどうやって評価するかだが、二つの基準があると思う。ひとつはアウトカムだけを見る方法。つまりは、その手術で患者さんが合併症無く疾患から治ることができたその治った度合いと、何人中何人がうまく行ったかと言う治癒率で評価する基準である。もちろん、病期の低い、治りやすい状態の症例ばかり集める人など出てくるだろうから、症例のランダマイズ化など公平な評価のためのデータの操作が必要になるだろう。もうひとつの基準は模型などを使って、実際に手技をやらせることである。血管の切断や止血、ケッサツなど、同じ模型を使った手技であれば、誰がうまいのかよりすばやく、的確に操作を完遂できるのかを、比較することができる。
この二つの基準を点数化して、さらに経験症例数なども重要な要素なのでそれも数値化して加味し、その医師が手術がうまいのかどうかを、客観性を持った数値として表すことができるのではないか。