ピラミッドを支えるパラダイム

大学の医局を中心とした価値観から言えば、当科における王道とは、
1.大学での研修医としての過酷な雑用業務をこなす。
2.外病院で5,6年の臨床経験を積み、開腹手術の執刀くらいはできるようになる。
3.大学院を受験し、大学院で基礎分野における研究成果をだす。
4.海外留学に推薦を受け、海外の有望な研究プロジェクトに乗り、できればインパクトファクターの高い科学雑誌に論文を載せる。
5.帰国し大学の役職につき、研究に指導に獅子奮迅の働きを見せる。
6.他大学の教授職に推薦される。
7.旧帝大といわれるような勢力範囲の広い大学の教授となる。
このようなコースをたどるのが王道とされている。王道を歩めなくてもそれを目指して動くことが当然の価値というかせめてこのコースを辿ろうとすることが「正道」とされるのだ。
外科系の医局では大体このような流れになっているのが一般的だろう。
普通は1から3までのコースは大体の医局員が辿る道だが、4はかなり運が良くないと選ばれることはない。ここに一度篩がある。
さらに4を飛ばしても5にたどり着くことはあるが6までたどり着くのはほんの一握りの人間だ。さらに7となると、前教授の定年退職の時期という大きな運の要素があり、もちろん研究や臨床における実績も重要だから有能な人間が選ばれることが多いのだが、まあ2,30年に一人の単位の幸運という形でその人間は選ばれる。
がんばって5まで勤め上げた人間が6に届かなかった場合、そのような努力に対して何が用意されているかというと、外病院、つまりその大学の勢力範囲内(業界用語でジッツという)の市中病院、関連病院の部長のポストを与えられるという仕組みになっている。これはこれでこの「正道」においてある程度の成功を収めたと皆が認める終着点なのだが、そこについたときにはすでに50台になっている人が多い。
1が大体24〜27歳。2が26〜30歳。3が30歳〜36歳。5が40〜50歳。そのような年齢構成になるだろうか。
何がこの価値観を支えているかというと、権力欲である。要はすべての医局構成員の人事権を握る「教授」になれば、誰にも命令されることなく、もちろん社会的指導的立場にあることの責任と仕事のクオリティは保たなければならないが、人々のリスペクトを受ける立場で仕事がしていけるという点で、「教授」は目指される椅子なのである。
私は1,2までのコースは辿ったが、そこですでにドロップアウトを決めているので早々と「正道」を外れた人間ということになる。「正道」を外れた人間というものは、ライバルが一人減るという意味で歓迎される向きもあるが、ともすれば価値観を共有する相手ではなくなるということで、ピラミッドの構成員からは扱いづらい存在となる。こちらもそこから外れた以上、ピラミッドに関わることで得られる利益もないのであまり寄り付かなくなる。
そのような仕組みで、私は今週末に行われる同門会に不参加となっている。
説明が長くなったが、2週間前に、「同門会会合に不参加」、というはがきを提出した私の行動にはこのような力学的な構造が働いていたのだ。