誠心誠意を見せろと言われて。

結局問題は院長が出るまでにこじれ、今日は院長同席の下で、私が患者本人に謝罪することになった。謝罪の内容は、私の処方で副作用が出たことについてではなく、それに対する私のきちんとした(心のこもった)謝罪がなかったことに対して、私が謝るというものだった。院長も謝罪し、病院の方針として決まったものであるので、私も謝罪の席についたが、患者本人は、私の口から出る言葉は信用できないので、文書で謝罪を示して渡して欲しいと言い出した。方向としては結局、入院費用の補償とか慰謝料という話に持っていこうとしているとしか考えられない。
医学的に、また治療として私は落ち度となるようなことはしていない。処方については当然するべきことをしたまでであり、またその後の方針についてもなすべきことをしなかったなどということは何もない。けれども、私の処方でつらい思いをしたと述べる患者に対して、それは申し訳なかったと、私は何度も謝ったが、患者本人によるとそれには誠意がこもっていないらしい。私としてはこれ以上できることは何もない。
その処方により、当然予想されるべき副作用であったとか、後遺症が残ってしまったなどということであれば、私も真摯に謝罪するべきであると思うけれども、もともとあった起立性低血圧の症状が増強し、当科の処方をやめてみてはじめて、症状が改善したので、それの影響があったことがわかったと言う形の副作用であり、その発見が遅れたことについては患者本人が当科外来でその症状について何も述べなかったこと、降圧薬を内服していたなどほかの原因も考えられたことから、いたしかたのない経過であったと考える。
非常に無理をして私にできたはずで、怠っていたと指摘できることがあるとすれば、ごく低い確率ではあっても副作用として起立性低血圧の出現は添付文書に記載されているのだから、それを投与時に説明すべきであったかもしれない、という点と、投与後一週間での継続投与時に、起立性低血圧の有無をこちらから患者本人に聞けばよかったかもしれないという点である。しかし、副作用としての発生頻度の低さを考えると、これ程発生確率の低い副作用のすべてを、投薬すべてに関して、前もって説明、その出現の有無を確認していくことは日常診療の物理的時間量から考えると不可能と考える。患者の側から、「この薬を飲みだしてから立ちくらみがひどくて、、」との訴えがあれば、当然私は、α1ブロッカーの投与は中止した。それをこちらから聞くべきであったのかどうか、その点が非とされるべきなのかどうか、それは広く一般の見識に頼らなければ判定できないが、私は自分に非があったとは思わない。
実際に、起立性低血圧の症状で苦しんだと、患者が言うのであるからそれは事実なのだとして、それが私の処方した内服薬のみがその原因であると決め付けられるのも、一方的な思い込みであり、誤解と言わざるを得ない。もともと糖尿病の自律神経障害の症状として患者には起立性低血圧があったのであり、さらに入院後は降圧薬の投与も開始されていた。そこに私の処方したα1ブロッカーが効果を重ねた結果として起立性低血圧の症状は重いものとなった。患者からの訴えが強まり、内科の主治医は糖尿病の症状の悪化、もしくは降圧薬の副作用と考え、これらの加療および中止を行った。それでも改善がないために、α1ブロッカーの投与を中止したところ、症状が改善した、という経過であるが、α1ブロッカーの投与を中止した段階で、その前に降圧薬を中止した事の効果が現れてきたのかもしれないし、糖尿病も改善されてきていたので、症状が改善したとも考えられる。このような可能性がある以上、α1ブロッカーだけがその症状の原因だとされるのは短絡的であり、患者にそのような理解をさせる説明を行った、内科の主治医にもこのトラブルの責任はある。
けれども患者本人は薬害を受けた、とすでに固く思い込み、これらの可能性についてのこちらの説明を聞く耳など持たないだろう。こちら側との共通の認識に立てる可能性はすでに閉ざされている。これ以上この問題の解決が望まれるなら第三者による機関、つまりは訴訟などに頼るしかないのではないかと思う。
そのような事態まで行かないように、病院の方針として、とりあえず私が謝罪すると言う方針がとられたのであろうが、私自身としてはもうこれ以上譲歩するつもりはない。これ以上私が非を認め、その責任を取るように要求されるならば、私は法的な強制力により、私の果たすべきを責任を限定されるのでなければ、それを追行するつもりはない。