Sさん

学生時代、住んでいるアパートの一つ下の部屋に住んでいた先輩で、大変お世話になった方。
しかし、途中から同学年となり、人生のことや、何が面白いことか、など議論したり遊んだりした友人となった方。
その人が、ある事件を起こして逮捕された。個人が特定されるので事件の詳細は書かないが、このことについて次のようなことを思う。
・明らかな違法行為で確信犯であり、彼に弁明の余地は無い。大人しく定められた法に従うしか道は無い。
・けれど、行為そのものは公益を害するものではなく、国によっては合法であるような国もあり、人倫に悖るような行為ではない。
・しかし、「法を犯す」ということ自体が公益を犯すというならばまったくその通り。
・彼をよく知る私からすれば、彼にはそのような反社会性を補って余りある長所がある。
・しかし、その長所を持って彼の犯罪を無かったことにすることは、現代社会では無理である。
・こうして彼が仕事を失い、道に迷ったりすることになるとすればとても残念だ。
・私が彼にできることがあればできるだけしたいと思う。

彼はとにかく、素直な人物だった。たとえ社会的に当然とされている慣習であっても、彼自身がその必要性を納得しなければ、その慣習に従わない。しかし、私がもしそのように行動するなら、その慣習に従わない理由を前面に掲げ、反体制闘争として行動するだろうが、彼は一見自堕落に見える、ボイコットというような方法で、意に沿わないことを避けるのみだ。その結果留年とか、今回の逮捕とかに繋がってしまうわけだが、どう生きるのが楽しいのか、その行為を何のためにしているのか、深く自省的な感じはしなかったが、直感で納得できることには心から首肯し、そうでない事柄には眠い目を向ける人だった。

彼がしかるべき手続きを終え、また会えるようになった暁には、これまでどおり、といっても最近では2年に1度連絡を取るかどうか、という関係だったが、また話し合いたい、とそう思う。