東電を責めるのは後出しじゃんけんではないか

私は今回の福島原発の問題で、東電の対応にどのように落ち度があったか、詳しく検討してみたわけではないので、妥当な判断はできない。だから、現在東京電力がいろいろと問題にされている報道を見て印象として感じることでしかないのだが、なんだか、医療訴訟の風景と似ているように感じる。もちろん、当然されるべき対処がされていなかったとか、本来されてはならないことがされていた、というのであれば、それは過失、として責を負うべき事柄だ。しかし、事故が起こったのは想定外の天災があったから、というのがそもそもの原因で、天災が起こったのは誰の責任でもない。医療事故も、人間のなすことである以上、低確率ではあっても必ず起こる。その事故にあってしまった人は「何で、自分がこんな目に。誰のせいだ」と敵を求めた結果として事故を起こした医療者が責められる。
しかし、システム上一定の確率で必ず起こってしまうような事態に対して、たとえば、多くの病気を予防するワクチンであるが、ある患者に重篤な副作用が出てしまった場合、その注射をした医療者個人を責めることにどんな意味があるか。単なる八つ当たりということになるだろう。そこはシステムの側から保障されるべき部分のはずである。
東電の件にしても、安全対策とか、事故後の処理とか、もちろん問題のあった部分もあるのかもしれないが、原発に電力供給を頼る、という選択を行ったのは、もしくはその選択を許容してきたのはわれわれ国民であって、原発が存在していることの責任は東京電力にはないだろう。
私自身は東京電力と縁もゆかりも無く、擁護というわけではないが、東京電力ばかりがひたすら非難を受けるのは少しおかしい、と感じる。
私自身、電力会社の付属病院に勤めたことのある経験から、電力会社というものは、一応民間会社だが、半分親方日の丸、というか、公務員並みの安定した収入と、安定した将来を約束された会社、という印象はあり、そうした優遇された人々に対するやっかみの様なものは理解できる。そうしたやっかみが、今回の激しい非難に関係が無いはずはない、とも感じる。そうした優遇が、こうした事故への常識を超えた責任を背負うこともあるリスクへの対価であったというならば、このようにして東京電力が責められることも致し方ないのか。
私はそのようには思わない。