非日常なるもの

昨日、「神去なあなあ日常」について書いたことをきっかけに、神様、お化け、オカルト、超常現象そういったものに対して自分はどういう態度をとるのかをちょっと考えてみた。
自分は「科学的」な考え方を学んで育ってきた西洋科学学究の徒崩れの一人であるからして、因果関係と再現可能性が証明されていないものを実在するものとは基本的に認めない。
けれど、科学的な視点から見た世界、というものが、重要ではあるけれど、世界の一側面にすぎないことは既に自分も了承済みだ。実際暮らしているこの地方での暮らしで、祭りに一種非日常的な楽しさが存在し、その楽しさの根拠に土着の古い民俗信仰が根付いていたりすることが嫌いではないし、自分の子供を含めて幼児がたまに空想の世界の住人と会話していたりすることも悪いこととは思わない。
となりのトトロ、のような存在が日本に実際にいるかどうか、この場合、「実際に」という問いかけが「科学的に証明されうる」という意味ではいない、ということになるのだろうが、そのような問いかけ自体が無意味であるような、「実際の」生活レベルにおいて、そうした存在がいる、として暮らしていくことには豊かさがあること。そして、長い歴史の中で理不尽な自然現象、人間関係における感情的な対立や不協和、そういう生活の苦しみを和らげ、1年1年を生きていくために、祭りなどの非日常的な機構や土着信仰といった豊かさのスパイスが実生活には必要である、ということ、これは私も素直に認めるところである。