未明の雑感

昔、高校の頃、虚数というのを習っていた。
2乗して負の数になるもののことでiという文字で表していた。
今日、久しぶりに思い出して、あれは一体なんだったのだろうと思い、検索をかけてみると、虚数が数学の世界を拡張していくためのものだったり、電気の交流電流を表現するために必要だったり、量子力学という現代の工業科学に無くてはならない領域の記述体系のためにどうしても必要なものだったりすることは分かるのだが、それを自分が実際に扱う立場に無いので、「あれは一体なんだったのだろう」というまでに「虚」なものとなってしまったのだ、ということが理解できた。


「虚」なものとはなんだろう。逆に「虚」で無いものとは何だろう。


自分が現在やっている事業、開業医として日々診療に当たっているこの仕事のことだが、遠くない将来、つまり50年後とかにはどうあってもこれを止めるか他の人に受け継いでもらうかしなければならない。
その時のことを想像しようとするが、これがどうもうまく行かない。自分の子供が継ぐわけではないだろうから、誰か他の人を雇って、その人に任せていくことになるのか、全く他の医療施設に患者をすべて紹介して施設を畳むのか。自分はその頃自分の生命の維持を誰か他の他人に頼るような状況になっているのか、それとも死んでいるのか。



自分は自分の死後に何かを残したくてこうして生きているのか、それとも死後のことなどどうでも良くて、自分の過ごす毎日がただ楽しくなることを目指しているのか。もっと若いうちは明らかに後者の考え方に寄っていたが、積み重ねで達成できるものや、思い出など、時間軸無しには到達できない快楽、楽しみもあり、刹那主義で良いというものでもない。積み上げたものを、崩して死ぬのか、いずれは崩れることを知りつつもそのままにして死ぬのか、それとも何か他の積み上げに繋がると信じつつ死ぬのか。どうするのが自分としては納得できる清算の仕方か。



こんなことを考えるのは自分の3人目の子供が女の子で、3人とも女の子となったことと関係あるのか。もし男の子だったとしても、跡を継いでくれるかどうかは全く本人次第だし、女の子でも継いでくれる場合もあるだろうし、また、そもそも継いでもらうために仕事をしているわけではなく、単に自分のできることがこれだったからやっているだけで、子供は自分とは別の人間なのだから、各々自分のしたいこと、できること、を見つけていってもらうしかないという原則はしっかり分かっているはずなのに。子供の性別と無関係な話ではある。


夜明けの薄明かりの中、一人でこんなことを考えていた。