モラルハラスメントについて

私はモラルハラスメントの被害者であり、加害者である。
けれども、モラルハラスメントという概念で現在ネット上で騒がれているその扱い方では、こうした問題は解決できないとも感じている。
ではどうすればいいのか。当事者である自分はそこまでまだ整理できないけれど、被害者加害者両方の視点からこの問題を考えてみたい。
こういう問題にヒステリックになってしまっている人の目に簡単には触れないよう、以下の記述は一応畳んでおく。
最初に赴任した時の直接の上司から様々な嫌がらせを受けたが、これはモラルハラスメントに該当すると考える。例えばどういうことをされていたかと言えば、上司の担当の患者がもう間もなく死亡するという状況になった深夜に、私は、担当患者死亡時の諸手続きを教えるから、という名目で呼び出された。呼び出された時点でいつ心肺停止となるかはわからないので、自分は一通りの状況を把握した後、当直室で待機していたが、結局呼ばれることなく、次の日の勤務が始まる。何のために呼び出されたのかわからないので、次の日上司に聞いてみると、すべてもう終わった、と言われる。どうやら、死亡時の手続きを見たいなら、死亡となるまで、病室で待機するべき、と上司は考えていたようで、当直室で待機していた私は、学ぶ意欲のない、怠け者、という扱いを受ける。わざわざ深夜に病院まで出てきたのだから、学ぶ意欲がなかったわけではないし、死亡時に電話一本してくれればよい話である。またわざわざ深夜のステルベンで教えてもらわなくても、他の機会もあったのではないか、などといろいろ理解できない点が多く、結局私にしてみれば、上司は、深夜働かなければならないむしゃくしゃを、私を呼び出して、無駄に待機させる、という悪意ある行為によって憂さ晴らしをしたかった、と理解した。
他にも手術中に何度も横から脚や下腹を蹴られたりした。部長と、その上司と私の3人で手術に入っており、執刀が部長、前立ちが上司、で第2助手が私ということだが、上司からすれば、部長に自分がさせているとわからないように、私の口を介して部長に何か言いたい、もしくは何か操作で私にやらせたいことがあるから、そうして合図を送ってくるのだろうけれど、私にはそれが何なのかさっぱりわからないので、何もすることができない。結局より強く蹴られたりするが何もできず、あとで文句を言われるということになる。
これに類することが他にもいろいろあり、いろいろな嫌がらせをされた。私としては当然不満はあるけれど、あまりに理不尽な事態なので、その上司を人格破綻者と考えることでつじつまを合わせることにした。その状態は2年間、上司が異動していくまで続き、研修から上がりたてで、どんな医療行為にも上司を頼らざるを得ない間は非常につらかったが、ある程度何でも自分でできるようになってくると、上司とかかわる場面が減るので楽になったし、さらにそれを目標にするので独り立ちするための技術習得も速かったと思う。上司の異動によって私はようやく解放された。
今から思えば、一番上の上司、つまり部長がその上司に与えるプレッシャーが異常なまでに強かったのも原因だと思う。部長回診の前には、その上司はプレッシャーの余り過敏性腸炎から下痢でトイレに籠るという状態であったし、部長のすすめたゴルフクラブを買い取ったり、見合い相手を断れなかったり、とにかく部長を恐れる行動が多かった。部長の前ではきびきびと動き、呼ばれたら全速力で猪突猛進、前に立てば兵隊のように整列していた。私にとって部長は、隠し事さえしないならば、別段それほど怖い人ではなかったのだが、上司にとっては異常に怖い人だったようだ。このような部長の下でのストレスが、部下へのモラルハラスメントという憂さ晴らし行為につながったという構造は十分に考えられる。
さらにどういうときにモラルハラスメントが発生するかと言えば、要は部下である私の「察し」が悪いときにそうなる、という気がする。上司にとっては当然の、私がするべき行動、当然私が気を使うべき場面、で、それらを私がしない、ということがことの発端になる。直接指示したわけでないので、私がそうしないことを口頭で咎めることはせず、それを気付かせるために不機嫌になって見せたり、あくまで私が「察する」ようにしむけようとするが、それでも気付かない、もしくは感情的にこじれてくると、今度はいじめの態勢に入るのである。
「空気を読む」という言葉があるが、上司にしてみれば、私は「空気を読めない」奴、ということになるのだろう。しかし私に言わせれば、人は育った環境も、常識とすることも異なるのだから、いくら上司にとって常識的なことであっても、口で言わなければ、私にわかるはずもない。物には程度があり、もちろんある程度「空気を読む」必要のある場合もあるだろうし、こんな細かいことまでいちいち言わなければわからないのか、というような気持になることもあるのはわかる。そういう意味ではわたしは平均的で、非常に「察し」が悪い人間であるとは自分では思わないのだが。
その上司にとっても、怖い部長、察しの悪い部下というストレスフルな環境からの異動は良いことであったのだろう、それからはそこまで人間関係でもめたという評判は聞いていない。

逆に加害者として、自分はどういうときにモラルハラスメントをしているのか、と考えると、やはり相手に察してもらえない時にそうなっているし、「察して」もらいたいようなことが生じている時が危険な時だ、という気がする。たとえば大事にしてもらいたいと思ったり、愛情を確認したかったりで、見返りを求めるような、思いやりの行動や愛情を示す行動をとったのに、相手にはそれを受け入れてもらえず、そっけない態度を取られたりしたときに、そういうモラルハラスメントを起こすような心境になってくる。
もともと見返りを求めるような行動をしなければいいのだが、そこは、もともとの生まれなのか、生まれ育った家庭環境によるのか、自分一人だけで自己への安心感を得られない、そういう部分が私にはある。
これをイルゴイエンヌという人は自己愛性人格障害と呼ぶのだろう。
こうして見返りを得られずに傷ついた自己は、同じ苦しみを相手に味あわせて、自分の苦しみを理解してもらい、同じようなことが再び起こらないようにしたい、と思うようになる。そして、相手がその苦しみを理解してくれなければ、もっとひどい苦しみにすることで、その苦しみを理解して欲しいと思うようになる。
自分の場合を振り返ると、こうした感情の経路を経て、モラルハラスメントは生じてくる、という気がする。

ではどうすればいいのか。

とりあえずの対処法としては、被害者は加害者から逃亡するか、もしくは、外的な機構に訴えて、加害者を排除するかして、とにかく離れるしか解決方法はない、ということになる。私の場合は職場で2年耐えることで、上司が異動になったので解放された。
家庭内の自分の加害についてだが、こちらから言わせれば、こちらが不機嫌になるのには当然理由があり、こちらがまず被害を受けているというのが発端ではあるが、問題の解決のための対話に至るまでに、まずは自分が不機嫌になって精神的な鬱屈期間をすごし、それが相手に対しては精神的な暴力となっている可能性は十分ありうると思う。結果として最後には一般的な夫婦げんかとなり、冷却期間を経て、冷静な対話をして、問題を解決し、再発予防策をある程度考える、というような流れとなる。だから、ネット上で言われているように、単に暴力で憂さを晴らすのが目的ではなく、不満があり、原因があり、問題があるので、それが解決すれば、精神的な暴力を続けることはない。この辺が、ネットで言われているモラルハラスメントとはちょっと違う流れとなっている。
モラルハラスメントの被害者は長年蓄積してきた恨みや、それを問題として取り上げることもできずただ耐え続けたというような経験から、激しくモラルハラスメントを糾弾するので、加害者はどうしようもない、矯正しようのない人格破綻者として描かれるが、加害者の側にも、そうならざるを得なかった何らかの原因や理由があるだろうし、しかもその一端が被害者との関係にある場合だってあるだろう。
その辺りを汲むことなく、ただ加害者から逃亡し、対話を試みるのではなく、他の人に愚痴を言って鬱憤を晴らすのと同じ形で、ブログなどで加害者を糾弾したところで、それは生産的な話になるはずもない。
暴力である以上、当座の対処方法として、加害者と被害者の間に距離を置く、というのは非常に有効だし、すぐに取るべき対処方法ではあるのは間違いない。けれども、どうしてこんな関係が生じてしまうのか、問題の原因を、加害者の育成環境とか人格の問題にその辺りに閉じ込めてしまうのではなく、人格の問題なら、どうすればその人格を改善できるのか、その人格を病気や、社会不適格者という形で隔離するのでないならば、どういう環境にならばそういう人格の人を安全に置いておけるのか、ということを考えていかないと生産的な議論にはならないと思う。