ポトスライムの舟

by 津村記久子
だいぶ前の芥川賞受賞作だが、最近読んだ。
そこで出てきた「モラルハラスメント」という言葉にひっかっかった。
作品の内容に触れる場合もあるので、畳んでおく。

モラルハラスメントという概念を自分はよく知らなかったので、ネットで調べてみると、「精神的な暴力、嫌がらせのこと」とある。
なんだ、それなら、自分も最初に外の病院に赴任した時に自分は確実にモラルハラスメントの被害者であったし、さらに言えば、家庭内においては妻に対して時々モラルハラスメントを行っている加害者であるという自覚もある。確かにコミュニケーションというものではなく、一方的な暴力とも言うべきもので、当事者の間だけで解決する方法はなかなか見えてこない。

モラルハラスメント自体についてはまた別の機会に考えてみたいと思う。

この作品も、モラルハラスメント自体について描いているのではなく、そこから逃げて、ワーキングプアのような形で日々をなんとか暮らしていく若年女性の気持ちや日々の意欲を描いている。あまり芳しくない生活状況に、さらに離婚して子供を連れてきた友人も加わり、ままならない状況の人々が集まっているけれど、それでも情景は関西弁の効果か、どちらかというと明るく描かれ、それでも意欲を持って生きていくということが評価される作品、ということになるのだろうか。

しかし、この主人公が取り組むべき本当の問題は、というか描くべき本当の問題は、そもそも社会人生活の失敗の原因となった、最初の職場のモラルハラスメントではないだろうか。これを真正面から捉えて問題提起するとか、そこが、なんというか主人公の肝となる部分のような気がするが、そこはもう終わった問題として触れることなく、そこから逃亡した後の生活を描いているので、どうもすっきりしない。

私自身も被害者であり、かつ加害者である場合もあるようなモラルハラスメントだが、ある状況がうまくいかないからと言ってそこから逃げ出しても、そのうまくいかない原因にもし自分が関与しているなら、どこへ逃げてもまた同じ問題が生じるに決まっている。モラルハラスメントとは、虐待の問題のように、親から虐待された子が、大人になって自分の子供を虐待してしまうように、おそらくそういう要素がからんでいるだろう。