食育に熱心な人

「食」が人間の健康や生命の重要な部分を担い、子供にとっては知育徳育体育の基本となる、という概念は理解できるし、賛同できる。
では理想的な食育とはどういうものか。食材の生産、加工の段階でなるべく有害となる添加物や農薬、化学肥料など、有機化合物、もしくは重金属類に汚染されることのない食材、調味料を使った食事を取る、またはそのための知識を身につける、ということになるだろうか。
中国の農薬入りギョーザとか、狂牛病感染病原体プリオン感染の危険のある牛肉とか、気をつけようと思えば、気をつける点はたくさんある。醤油とか調味料についても、原材料や添加物をちゃんとチェックすれば、スーパーで売っているものの多くがまともな製品ではないことがわかるという。
もちろん自分の身を自分で守るために、そういう知識を身につけていくことは重要だと思うし、特に身体の成長段階にある子どもには有害な食べ物を与えたくないという気持ちは共感できるものだ。

けれど何事にも程度というものがあり、極端にそういう事柄に潔癖になると、生活がぎすぎすしたり、心労が増えて逆に身体の調子を崩したり、そういうことがあると思う。


今日、患者として訪れた方は、まさにそういう状態ではないか、と思った。あまりに食育のことに夢中になり過ぎて、マスコミへの喧伝とか、どこぞのスーパーでの事故米問題糾弾、といったことに首を突っ込みすぎて、自分の子供の世話や、自分自身の健康管理について、おろそかになっている。かなりの体調の不具合を抱えながら、予定が詰まり過ぎて、病院受診もできない、という状況である。
食育と言う理念は確かに重要で、少しずつでも個々人が実践していくべきものであるだろう。けれど、それが理想化されすぎて、地に足の着いていない活動となってしまうなら、それは逆にその個人にとって有害な結果を導くこともあるかもしれない。