最近の手術が終わらない件について

なぜそうなるのか、よくよく観察してみた。
その結果、No.1とNo.2の権力争いというか、No.2がNo.2としてちゃんと機能していないという、その実態が見えてきた。
今まで部長の不器用さ、と、それを道具のせいにしてどんどん新たな器具を取り寄せ導入する手間で手術が長引いているように見えていたが、どうやらそれは問題の一部でしかなかったようだ。
No.2がいつもいらないことに気づく。何か危険な要素に気づいて、それを回避するために安全策を考案し、それを実行するのだが、私から言わせれば、それはすべて杞憂に過ぎない。無駄な危機回避手続きをいくつも踏むことで、手術時間は延びていっている。
「安全」を盾に出されると我々医療者は論破されやすい。「安全」策を無視して自策を強行し、何か失敗が生じればその責任が大きく自分にのしかかってくるからだ。とりうる「安全」策を講じた上での失敗ならば、天災、ということで片付けられる。「安全」のためにベストは尽くした、といえるような気がするからだ。
しかしそれは間違っている。無駄な安全策を講じて、手術時間が延び、不要な手術操作が加わることで、患者の体には余計な危険が増えていく。無駄な安全策は有害な操作となりうる。

例えば、この前の日曜、尿路結石カントン例での、No.2の夜間緊急手術に呼ばれたが、CTを見るとほとんど水腎は無く、確かに尿管結石はあるものの、Sepsisの原因はほかを考えるべき状況だった。案の定、日曜の夜中に手術室で入れたステントから出てくる尿は全くきれいなもので、全然濁っていなかった。
しかもそのあとその患者にエンドトキシン吸着まで施行した。確かに菌血症はあり、血圧も少し低めだったが、エンドトキシンショックとまでいえる状況では全然なく、もちろん、ショックになりかけなら早めに対処することは必要とはいえ、過剰な医療だったといわざるを得ない。
こうした、過剰で過保護で、行き過ぎの医療をNo.2は頻繁に行う。病院経営に貢献したいとかそういう意識は無く、自分の判断で危機を未然に、ぎりぎりのところで回避しえた、と考えているようだが、私に言わせれば全部不要な治療だ。
No.2のこうした医療過剰姿勢と、部長の不器用な手術手技があいまって、途方も無い手術時間を生み出しているのが、当院の現状である。