評価型新貨幣システムの構築:ミーム

FFXIなどのオンラインゲームをやっていて考えたことだ。
現在現実世界に出回っているものと異なる、架空の貨幣を作ってみてはどうだろうか。この貨幣は、実体を持たず、ネット上でのみ取引が可能である。
例えばその単位をミームと呼ぶとして、一個人は生まれながらにして100ミームを所持しているものとする。そして、ミームは自分が良いと思う事柄、事業でも良いし、芸術作品でもいいが、それの帰属するところの個人に対して、対価無く、支払われる。つまり、芸術作品であれば、それを作った個人にいくらのミームが支払われるかで、評価が決まるわけである。
例えばブログの価値でいえばそのアクセスカウンター数が、ミームのようなものといえばそうであるが、それよりももっと個人から個人に支払われるものとしてミームを設定する。そしてその支払いは記録に残され、評価が変わった場合には、その個人は支払った分のミームを回収することができるとする。ただし、個人が回収できるミームは、一年につき1ミームのみとする。つまりたとえば100ミームを支払ってしまうと、自分の支払ったミームを、生きている間に全ミーム回収することは不可能となる。
ミームを手に入れるには、何か一般に評価され、ミームを支払ってもらえるような何事かを、社会に対して為さねばならない。その人の手持ちのミームが無くなって、かつ、その人が誰かからミームを支払われるべき何事も為していないならば、その人は「何かを評価する」権利を奪われるのである。もちろん一年経てば1ミームのみは回収することができるのだけれど。
逆にある個人が皆に評価される芸術作品を作ったとして、たくさんのミームを集めたとする。しかし、その作者である個人は、ある音楽家の演奏に心酔しており、自分の得たミームをすべてその音楽家に支払ってしまうと言うこともありえる。そうすると、その芸術家に対して支払ったミームが、支払った個人の意思に反して、別の音楽家の評価に使われてしまうわけである。それにより、支払いを撤回し、ミームを回収することは可能であるが、回収できるミームは1年につき1ミームのみである。そのような事態は起こりえるものとして認められる。
当然、現実の貨幣経済との関係が問題となる。ミームは金で買えるものとすると、他人からの評価を金で買えることになる。しかし現実問題として評価は金で買われているような側面はあり、それほど問題はない。しかし、ミームという貨幣を設定した意味がなくなるほど、現実の貨幣との交換性があっては困る。例えば、名画を評価するとき、そのオークション落札には参加するつもりはないが、その名画を評価したいとき、経済力が無くてもそれができる、というのがミームの意味なのである。
ある個人が死ぬと、その人が生まれながらに持っていたミームはシミームとなる。シミームは既に回収される可能性のないミームなので、自由に売買、贈与できるミームとなる。しかし由来の個人名が明記された生ミームとちがってシミームはシミームとして別個にカウントされる。個人が持っていたミームは、死によって子孫や家族に相続される。しかし、ミームを廃棄することも遺言によって可能である。

いろいろ矛盾も出てくるかもしれないが、ざっとこれくらいのことを考えた。

こうした新たな貨幣の創造にはどのような意味と効果があるだろうか。