一人暮らしへ

子供を持つということがこういうことである、と、子供ができるまでの私は想像できなかった。こういうことであると知っていたなら、もう少し、時期を延ばすとか、考えていただろうと思う。
現在の家庭の回り方は、子供のため、という価値を中心として妻が決めたサイクルで動いている。妻も仕事を持っているから、本当にぎりぎりのラインで、苦労して仕事と育児と家事を切り盛りしているのだろうと思う。
しかし、そこに私の居場所は無い。私は子供の情操教育にとって父親が家庭内にいればいいからという理由と、経済的な収入源、そして、いくらかの家事の分担のために存在しているに過ぎない。
子供の養育の義務はいくらかは私にもあるのだろう。しかし、その方針に関してなんの発言権も無い私が、一方的に課せられた義務に従う必要も無い。
子供がかわいくないのかと、と問われれば、もちろんかわいいと思う。けれども、子供のために自分のすべてを犠牲にしようとは思わないし、そうしないと子供が育たない、とも思わない。自分たちが夜中にラーメンを食べに出たければ、1時間程度子供寝たまま家に置き去りにして、食べに出ることは、私は問題ない、と思う。けれども妻はそうではないらしい。一瞬たりとも子供を一人で放置することは無い。それは、もちろんその方が理想的ではあるのだろうが、私はそこまで必要が無いと思うし、そう思う以上、その決定に私までが従う必要は無い。
家事や育児が大変であれば、経済的に余裕があるならば、家政婦のような業種を雇うことも、私は問題ないと思うのだけれど、そして実際、妻が働く時間は、子供は保育園に預けられているわけだけれども、それでもそういうものは雇わない方針らしい。
もともとは、私と妻が相性が良いから配偶して、一緒に様々なことを行っていこうという意味で始まった私の属している家庭であるが、いまとなっては、妻と子供がその中心にいて、私の意向に関係なく、勝手に動いていっているという状況である。
それならば、私がここにいる必要はないのではないか。そういう考えが生まれてきた。