transplant

寒くてなかなかチャリ通勤再開できない日々。
東西線で人ごみに揉まれ、咳をする人々の排菌するウィルスや歩きタバコをする人の副流煙にさらされるので、電車通勤も十分不愉快なのではあるが。

今日は同時期にこのはてなダイアリーをはじめ、ブログ上の盟友と勝手に思わせていただいている、mizukinojimaさんの病状がよくないと書いておられたことをきっかけとして、腎機能代替療法について、一般向けに自分の知識を少しまとめてみようと思います。ですから、これから書く文章はmizukinojimaさんに向けて書いているのではなく、一般的な若年の腎不全といわれた方に向けて、私が一医療者として知っていただきたい知識をまとめたものであり、個人的にはまたそれぞれの事情というものがあるものだし、個人的な相談はメールにてお受けしたいと思います。
以前、[dialogue]で「困っている人を助けてはいけない?」(2004.10.27.#p1)のところで述べたように、私は腎不全といわれた方の心の悩みを助けることはできません。腎不全ということは、自分の身体における、あきらかな喪失体験であり、そのことの受け入れは、その方本人が、苦しんで受け入れていくしかないことだと思うからです。もちろん、治療可能なのに、誤解して諦めてしまっているとか、そういう状態であれば、誤解を解いて、希望を持っていただけるようにしたいと思いますが、実際に腎臓の機能が不可逆的に不全状態となり、生命の維持のために代替療法が必要となる方は、年間35000人のペースで新たに生じているというのが実情であり、不可逆的にそうなってしまった場合は、そうなってしまった人が、それを受け入れた状態からしか、私たち医療者は治療法を提示できないからです。
こんなことを書くと、とても冷酷なようですが、私は、事実であることを受け入れ、その上で前向きに、その中でよりよい選択肢を選んでいこうとする意志のある方に、なるべく十分な知識と、その方の希望に本当にあった選択肢を選んでいただけるように、自分の知識が役に立てばよいと思い、以下のようなまとめをしました。ですから、以下に書いてあることは、腎不全という事実を受け入れるために役に立つ慰めの文章ではなく、それを受け入れた方に純粋な知識として知っていただきたい内容のみが記述されています。