筆箱の裏の象

自分に作れるものはどんなものか、という話。
昔小学校のころに文部省から配給された、プラスチック製の青い*1筆箱があった。KOKUYO製だったような気がするが、その筆箱は「象が踏んでも壊れない」という謳い文句、それを筆箱の裏側にマスコットとして筆箱を踏んでいる象がデザインされていた。
その謳い文句を反証するために踏んで壊す子どもや4階から落として壊す子どもなどおり、卒業まで使っている子どもはほとんどいなかった。私はその筆箱を大学に入るまで、実に12年に渡って使ったが、言いたいのは、あるとき私はこの筆箱の裏側にデザインされた象に魅せられ、これをもとにして様々なバリエーションの象を描いた、ということだ。
装甲車のように鎧をまとった象、くさりかけたゾンビのような象、アルコール依存者の幻覚に出現しそうな象など、100種類以上の象を描いた。まあ、それはシャーペンでノートに書き込んだ小さな絵なのだけれども、こうしてあるテーマに沿って変奏していく創作のあり方が、自分の創作のスタイルであるということを、そのとき漠然と感じていた。オリジナルなものを作り出す才能にはそもそも私は恵まれていないようだが、変奏し、様々な別の味わいを生み出すことは、かなり自分に向いている仕事のような気がした。
そして、大学に入って模写という形での油絵を数枚書いたり、学祭の立て看板を作成したりした。やはり自分は絵や図柄を描き出すという形の創作が適正にあるような気がする。
これを書くと個人が特定されてしまうのかもしれないが、私の大学の学祭で、奥泉光という作家と古井由吉という作家の対談を主催したことがある。時は奥泉光氏が「石の来歴」で芥川賞を受賞したばかりで、まだ騒がれていたころである。そのときの対談の立て看板は、我ながら傑作だったと思う。二人の古代中国風の衣装を身にまとった人物が向かい合って座っている影絵のような構図を、どこかブランドのマークからとってきて、それを何倍にも拡大コピーすることによって、巨大な立て看板としたのだ。影絵風の構図が大きなインパクトを作り、対談の看板として、十分な広告効果を持っていたと思う。その成功によって、私はその後もいくつか広告、看板作りを依頼されたが、その後はどうも不発であった。活動の力のほとんどを水泳を中心としたスポーツに向けていたので、やる気が出なかったというのもあるが、、、
いまそれを思い出して、またそういうものを作ってみたいというような気持ちはある。それだけの時間がいつ作れるのか、という問題はあるけれど。言っても仕方のないことではあるが、大学時代にもっと創作方面に力を入れておけばよかった、と後悔する。競泳という世界を十分に楽しみはしたが、それが今後に生きるというという可能性はどうも考えられない。

*1:女の子のは赤かった