仮想敵

事業を起こし、職員にその事業の理念を伝えるには、事業主の「物語」が必要になる。
私はそれをきちんと伝えようとしてこなかったので、混乱が生じている、と考える。
だから、私は私の物語を、職員に語らなければならない。
そこで私が物語るのは次のような話になる。

私は人口3万程度の地方都市で生まれ、親から受験勉強をやっていくための環境を準備してもらえたので、その世界に身を置いた。
他人より成績がいいことで、自分は特別な人間なのだと錯覚し、クラスメートや周りの人間を見下すようになった。所詮田舎の同級生たちとは自分は話が合わない、もっと知能レベルの高い集団に属してこそ、自分は自由闊達にふるまえる、と考え、地方の中核都市の進学校に進み、さらに偏差値が高いといわれている国立大学に入学した。
努力に見合うだけの、知的レベルの高い友人との出会いもあったはずと今でも思ってはいるが、そうして都会に出て行った私は結局そこでの幸せを見出すことはできず、自分の生まれた地方都市に帰ってくる道を選んだ。
都会での希薄な人間関係では自分の望むようなコミュニティでの生活ができない、得られる文化的な豊かさの代わりに、自然から得られる豊かさが無く、育児という点でも自然からの豊かさを優先した、など様々な言い訳は言えるけれど、要約すれば私は都会で夢破れ、田舎に逃げ帰ってきたのだ。
しかし、私は逃げ帰ったのではなく、あえて、こちらの道を選んだはずなので、都会に暮らす人々より、豊かな生活を田舎で実現したい、と考えている。

望ましい在り方は、比較対象と比べて自分が幸福だと、常に比較して生きていくのではなく、自分の在り方がただ楽しい、誰と比較するでもなくそう言えることが望ましい幸福だとわかってはいるが、こうした経緯で田舎に戻ってきた私は、仮想敵として都会での生活者を置き、その比較において優位に立とうとする動機がある。
私は自分の活動のスタートが、そのような比較による動機であっても構わないと考えている。スタートがそうであってもいつか自分の活動自体で楽しく感じられる時が来る、そういう期待を抱いて活動していく。

田舎を離れ、都会に出て行った若者たちが、田舎での祭りの風景や、健康で自然と親しみ豊かさを味わっていける生活を、情報で得て、田舎で暮らすという選択肢を現実的に検討してみる、そうなっていくような活動を、この田舎で繰り広げたい、と考えている。