優しくないらしい

現在職員のヒアリングを行っている。そこで、今後の当院の方向性とか、理想の方向性を職員それぞれに問うわけだが、その中で出てくるのが、「もっと医師が患者さんの話を聞いてあげて欲しい」という意見。
この指摘を受けるのはいったい何回目だろう。これだけ何遍も同じ指摘をされるということは、事実として私が患者さんの話をあまり聞いていない、ということになるのだろう。
誤解を招かないように言っておくと、私は病歴はきちんと聴取している。初めて会う患者さんからは恐らく15分以上はかけて病歴を聞いている。ただし、聞いているのはあくまでも「病歴」だ。あれこれ不定な愁訴を並べ上げる人には「今一番困っていることを一つあげるとしたら何ですか?」「その痛みはいつ、どのようなタイミングで始まりましたか?」「刺すような痛みですか?それとも鈍い痛みですか?」病歴聴取はOpen questionでなく、Closed questionであるべきだと、寺澤先生もおっしゃっておられる。つまり、これは患者さんに好きなことを好きなようにしゃべってもらうのではなく、こちらの聞きたいことを聞いていく、ということだ。
なぜそうするかといえば、それが、診断と治療に繋がるからである。そして患者さんは本来それを求めて病院に来ているのだから、そこに早くたどり着いたほうが良いに決まっている。え?決まっていないの?寂しさを紛らわせるために病院に来ている?ちょっとそういうのは他を当たってもらえませんかね、、、お金のやり取りをする間柄で、対等な友人関係が築けるとは私は思いませんよ、、、

ちょっと暴走しましたが、こんなことを言いたくなるくらい、何度もこうしたプレッシャーが私に訪れる。
曰く
「もっと患者さんと雑談をするような打ち解けた医師であって欲しい」
「用事がなくてもベッドサイドに居て欲しい。医師がいるだけで患者さんはどれだけ心強く思うだろうか」
「体の痛みだけでなく、その患者さんが病を受け入れる受容の段階を共に歩む医師であって欲しい」
このような看護師からの要望?アドバイス?何と言えばいいのかわからないが、このような意見を、勤務医時代から何度もされてきた。
この辺のことについては、以前のエントリーにも書いた。
http://d.hatena.ne.jp/kabalah/20041006#p4
http://d.hatena.ne.jp/kabalah/20080612#p1
曰く
「おまじないでもいいんです。先生が患部に触ってあげるだけで患者さんは本当に痛みが楽になるんです」
確かに、「手当て」という言葉はここから始まるらしいが、、、この私をなんとかして「まじない師」に仕立て上げようとする彼女らの圧力はいったい何なのだろう。
いつまで私はこれと戦わなければならないのだろうか。それとも、ひょっとすると「まじない師」になるのが正解?