もしドラ

NHK総合で夜10時45分くらいから「もしドラ」のアニメをやっている。
主人公の周りの登場人物が、笑ってしまうくらい同じ顔なのはご愛嬌だが、原作を忠実に再現している、とは思う。
今夜で最終回だろうか。
一度本を読んでいるので、改めて感心するようなことはないけれど、同じように事業を経営するものとしては、やはり、顧客とは誰か、とか、職員個人個人の能力を最大限生かして、やりがいを持たせるにはどうしたらいいのか、というテーマは身にひきつけて受け取ることになる。
うちは医院であるので、顧客は当然、患者さんということになるのが普通であるが、透析という治療の特殊性から、どんどん患者数を増やしたい、というのは目的と異なってくる。運動療法などで患者のADLとQOLを向上させ、透析をしながらも、ほとんどハンデキャップの無い生活を送ってもらう、というような目標は確かに理想ではあるが、かなりありきたりだ。
私自身からすれば、うちの職員こそが顧客で、これが如何に仕事にやりがいと向上心を持って臨んでいけるか、ということが一つのテーマとなる。
しかし、私が現在やっているような仕事のどこをどう改革しても、社会変革につながるようなイノベーションはちょっと起こしようも無いような気もする。そもそもそれだけ、自分の時間と力を打ち込むというほどの「真摯さ」も私には無い。
けれど、それこそが停滞の元だとしたら、何ができるか、少しずつでも考えていくしかない。
追記
テレビアニメの「もしドラ」を見終わった。そこで思い出したことがある。テレビアニメでは、一番大事な場面が省略されていた。以下、ネタばれにかかわることなので畳みます。
原作では、みなみはユウキが死んだことで、目標を見失い、全ての価値を否定する。甲子園に行くことさえも、ユウキが死んでしまっては、みなみにとって意味の無いことになったのだ。そこでひと暴れする場面が、アニメでは完全にカットされていた。この場面は、実は原作の最初で、みなみが、マネジメントに最も必要なものは才能ではない、真摯さである、とのフレーズを読んで一晩泣き続ける、という場面とのつながりがあり、実はとても重要な場面なのだ。野球が嫌いなみなみはそういう意味で、真摯さを持つことができず、かつ、それを行わなければならない、という屈折に、この話の深味があったわけで、それが省略されてしまったのは少々残念だ。
さらに、アニメのおまけで、原作者の岩崎夏海氏が登場し、この「真摯さ」のフレーズで泣いたのは自分である、と明らかにする。その涙は、人と仲良くするように教えられ、愛想良く振舞うように言われ続けてきた氏が、そんなことよりも真摯に自分のやりたいことに取り組むことこそが重要である、とドラッカーの言説で初めて支えられた感動からのもので、みなみとは若干状況が異なる。しかし、岩崎氏も同様の屈折を抱えて、一巡りしてきて、ようやく自分の真摯さに辿りつけた、という喜びであったなら、みなみが最後にたどり着いた境地と重なる構造なのかもしれない。AKB48というような、まさに大衆に媚び、大衆を食い物にしているように思われるグループのプロデュースに関わった人が、このような「真摯さ」について必死に考えてきた、という事実もまた逆説的で面白いが、まさに顧客のニーズに従ってそういうグループができた、ということなのかもしれない。
いつか私も自分なりの「真摯さ」にたどり着く日が来るのだろうか。それともこうしてただ、子育てと日々の業務に追われ、年をとって行くのだろうか。
さらに追記。
どうやら第9話を見逃していたようだ。上記の場面はちゃんと描かれていた、と思われる、、、