世紀末思想

筋トレをしながらOne OK rockの「皆無」を聴いていた。
以前、幼少期を米ソ冷戦時代に過ごしたことが、自分を刹那主義に導いた、というような記事をここhttp://d.hatena.ne.jp/kabalah/20041208#p1で書いた。
む、いま読み返してみると、自分は刹那主義に陥らなかったと書いているが、今振り返ってみて、結局自分は、今を楽しめないような生き方をしても仕方ない、というような考え方にかなり偏りがちだ。
地球を200回壊せるような量の核兵器が存在しているとかいう事実もそうだったが、いずれ食料危機が訪れるとか、公害で人類が滅びる、いずれ太陽は拡大して太陽系を丸ごと飲み込んでしまうとか、私を含めた人類がどんな積み重ねをしたところで、いずれすべては灰燼に帰してしまう。その認識は常に私に付きまとっていた。
今思えばいったいどんな大きな積み重ねを行うつもりだったのか、おかしいくらいだが、それでも、自分が永遠に続く何らかの価値に貢献できると信じながら生きていける、そんな生き方を心底うらやましいと思った。
今は、そんな永遠に続く価値に繋がれなくても、それなりに日々を楽しんで生きているし、どんなに楽しくなくてもやっぱり生きていくだろう、そう思う。
そう、だから、たとえこうして生きていると思っている私の意識が、電気的刺激を計画的に与えられ続ける、培養液に浮かんだ脳組織の見せている錯覚だろうが、誰かのからくりだろうが、「皆無」だろうが、別にかまわないのだ。