へヴンby川上未映子

ヘヴン

ヘヴン

芥川賞作家の川上未映子さんの作品。2009年本屋大賞の候補作。帯の絶賛につられて期待が大きかったが。

ネタばれにならないようにストーリーを紹介するなら、斜視があり、学校で苛められ、家庭環境も複雑な中学生が、盟友ともいえる友達を得て、どうやって現実に立ち向かうか試行錯誤し、最後に現実的な選択によってそれなりの成果を得る、というような要約になるだろうか。
たった3時間で読み終わり、深い読み込みができていないのかもしれないが、読後まず思ったのは、え、これでお終い?ということだった。
盟友と目指していた境地はどうなったのか、加害者たちのその後はどうなったのか、総じてこの小説では何が言いたかったのか、すべてがはっきりしない気がする。
以下感想はネタばれになるので畳みます。
私自身は小学校の頃、いじめられそうになったことはあるけれど、実際この小説に出てくるような執拗ないじめを受けた経験はない。中学高校のころ、身の回りにいじめられている同級生はいたけれど、私に見えている範囲ではここまで執拗なものではなかったし、単に仲間に入れてもらえない、というだけで、積極的な暴力を受けるようなことはなかったように思う。私自身はこういういじめというような暴力を振るったことはなく、暴力は常に喧嘩の中で受けたし、使った。いじめられている同級生にはそれなりに嫌われるだけの要素があり、積極的に仲良くしようとは思わなかったが、用事があれば普通に話した。嫌われている人が、嫌われる原因になっている要素とは何か、そこを改善すれば皆に受け入れられるようになるのだから、その点を抽出して指摘し、改善を促そうかと思ったこともあるが、家庭環境や育ってきた年月にかかわることはすぐに改善できることでもなく、またそこまでその相手の人生に踏み込むだけの責任も立場もなく、結局何もせずにただその人を嫌う周りの人たちと同じ対応をしてきたと言えばそうだろう。

ただ、いじめの話はいつ読んでいても、被害者がなぜ黙って耐え続けるのか納得できない気持ちになる。そういう自分は結局、登場人物の百瀬が言うような立場で、いじめという事態を見ていることになるのだろうけれど、実際自殺するくらいのパワーがあるなら、そのパワーを加害者に向けることで自分の周りの環境を大きく変えることになるのではないかと思うのだけれど。

コジマが目指したのは何だったのか、いじめに耐えることにも意味がある、たどりつける場所がある、と信じたその場所とはどこなのか。右の頬を打たれたら左を差しだすキリスト教の精神に通じるものがある気がするけれど、結局主人公の到達したへヴンとはそこでは無かった。斜視を手術で直すことで得られた立体視という感覚世界。それが主人公に現実を生きる力を与えるようになった、という話に思える。
とすればいじめに耐えていた日々は何だったのか。百瀬の言うように斜視といじめは関係なかったとしても、早くから手術をしていれば現実感を取り戻し、加害者に反撃するだけの意志の力を持っていたかもしれず、全く無駄な日々だったのか。
コジマはその後、どうなったのか、何を得たのか。22歳になった時の第2水曜に、二人は会うのか。
まだまだ小説は途中なのでは、ここで終って読者の想像に任せるには余りに問題提起の仕方が、結局何が問題であるかも示せない程度に中途半端なのではないだろうか。
私はそう感じた。またもう一度読む気になるかどうかわからないけれど、また読めば変わるのかもしれない。