高い志を by 孫正義

http://www.ustream.tv/recorded/5828069
おちゃらけブログのちきりんさんのお勧めで、孫正義さんのソフトバンクに入社する新入社員向けのスピーチを聞いた。
おちゃらけた人に間接的に「高い志を」と勧められても、どうもなあ、と思うが、孫さんのスピーチは確かに情熱的で面白かった。
坂本竜馬にしても、孫正義さんにしても、「高い志を持ち」「登るべき山を決め」「命をかけて」「事を成すため」に生きていくのは本当に立派なことだと思う。私利私欲でなく、文字通り世界人類の幸福のために自分の命を投げ打って生きる。
そういう人が成し遂げることは確かにすごく大きなことだろうし、やりがいもある、充実した人生だろう。
自分などはそうした志を持たない残り99%の部類、登るべき山を決めず、一生懸命さ迷い歩いている部類だと思う。
けれど、何が人の幸福か、それはやはり人それぞれだ。そうした大きなことをするために、日々の食事、音楽や読書、ゲームをじっくりと味わう喜び、家族と過ごす時間が疎かになることは、それは、大きな目的のために、人生のほかの喜びを犠牲にしている、と言えると思う。そうした枝葉のような楽しみより、「事を成す」ことのほうが何倍も喜びである、と、そうした人は言うかもしれないが、そうしたエネルギーや才能、もっといえば、そうした「事を成す」ことに喜びを感じる才能に恵まれている人物が1%ということではないのか。
あらゆる人が孫正義さんのようになれるわけでもなく、確かに成れなかったら「志が弱かった」ということになるのかもしれないが、現実として、そういう立場に達する人は1%で、それ以外の99%が、1%から見れば、「誰でも一生懸命歩いてはいるが、さ迷っている」ことになるのかもしれないが、それでもさ迷いながらも生きる楽しみを感じて生きている人も多いのである。
そうした生き方に価値がない、と切り捨てることはできないだろう。
日本の経済発展という観点において、物づくり産業は、人件費も材料費も安く、消費の多い中国インドが盛り上がっていくのは当然で、もう物づくりで日本はやっていけない、IT方面なら活路がある、という話はわかった。だがそもそも日本はこれから経済での発展を目指すべきなのか。高度成長期を過ぎ、高齢化のただ中にある国家として、今後GDPを延ばす方向ではなく、イギリスのように、そこに住む個人個人の文化的、倫理的な深化で国の価値を高めていく方向に、国家の方針を変えなければらないのではないか。

まあ、新入社員向けの説話として、「高い志を」というのはもっともな話で、そこにこうした観点からかみつく必要はないのはわかっているけれど、あまりに力強く「山を登ること」の価値を説かれたので、少し反論したい、という気分になった。

自分のできる何かで、まずは自分の周りの人を、引いては世界の遠いところにいる人にも幸せになってほしい、幸せになるために何かしたい、という志自体は否定しない。しかし、世界の遠いところにいる人をも幸せにすることと、とりあえず自分の周りにいる人を幸せにすることの間にはそれなりに隔たりがあり、一般人にとってみれば、それはかえって相反する方向性であったりもする。その隔たりを打ち破るほどの高い志というものは、やはり99%に属する一般人としては、目指すのは遠すぎる。もし99%がそのような志に最初からなれるものなら、世界はもともと幸福であっただろう。