医療経済・政治問題

今日は全く忙しかった。午前の仕事が終わってから看護学校の講義90分、続いて近くの開業医さんのところで患者向け講演会45分をこなし、さらにその後に、地域の同業者元締めの独演会とも言うべき飲み会に参加しで、帰ってきてみれば夜の22時だった。
この飲み会は毎年この県の北部一帯の同業者を集めて行われ、その元締めの方を中心にいろいろと普段聞けないような話が聞けるので面白いのだが、結局はその元締の方の自慢話を拝聴する会、だろうと思う。
彼が何を批判して、何を誇っているのか、整理してみたいと思うのだが、煙に巻かれる感じで、結局よく分からない。
例えばこういう話がされる。
都市部のある公立病院では、毎年8億円の赤字、累積赤字が300億円にもなっており、独立行政法人にすらもうしようがないほどのひどい経営状態。解散するとしても職員の退職金がさらに200億円必要であり、誰も触りたがらずずるずると運営されている、と。そういう病院では、病床が700床なのに医者が160人もいる、160人もいれば1600床以上の病院がやっていけるはずである、医者が足りない足りないというが足りずに潰れていくのは地方ばかりで、都市部では医者の余っているところはいっぱいある。
さらに例えばこういう話。
自分の病院に1億の医療機器を入れるために、国から5000万円の補助を引っ張ってきた。全国に8億しかばらまかれない医療助成のうち5000万円を自分のところに獲得できた。こういうものを引っ張ってくるのが院長の腕の見せ所である。これを得るために、厚生省本庁の事務次官のところまで行き、医政局長たちと会ってきた、と。
さらにこういう。
県庁で、研修医指導機関としての認定の取り消しについて交渉してきた。県庁保健部門のトップは中央からの派遣キャリアーの30代の若者で、並みいる50代の県庁トップの職員たちを顎で使って、とても横柄であった、東大に入ればそれだけでそういうキャリアが手に入り、たとえ本庁で昇進できなくてもきちんと天下り先は確保されている、と。


彼が言いたいこと、批判していること、どういう方向に向かえば改善していることになるのか、という方向がすでに見えないほど、あまりに多くの、談合、癒着、利権、と言うような事柄がうごめいて、手のつけようもない感じ。
病院が赤字になるなら、公立だろうと独立だろうと、経営改善のための努力がなされるべきだ。赤字ということは、何らかの無駄があり、不要なことにお金が使われていると考えるのが当然だ。もちろん過疎化の進む地方で医療を維持することは、単に収支の面でのみ話を進めることはできないが、地方に人が住むことにより国全体に利益がないならば、最大多数の最大幸福を求める民主主義の原則から、地方が切り捨てられることもやむを得ないだろう。
赤字を当然として補助を要請していく病院の姿勢が理解できない。

一般に権力とか、お金とか、大きな物を動かすのがすごい人物である、と言う評価がされがちであり、男ならそこを目指すべきである、と言わんばかりの浪花節だが、私に言わせれば大きな物とか大きなお金といったものは個人に属するものではありえない。従って本来ある個人が自分の好き勝手に動かしてよいようなものではないのだ。だから、必然的に公僕であるはずで、もちろん富の公平な分配とか効率の良い運用とかを考える能力は賞賛されるべきものでしかるべき報酬を得るべきではあるが、人に威張り散らしたり、武勇伝とするようなものではないだろう。そういう意味で、この元締の方のお話は全て根柢の価値観からして間違っているという気がする。