二人の娘ゲネとメメ

*1
純化してみよう。
実存的な生きがい、というようなものを無視して、
自分の生きている目的をgeneとmemeに二極化してみる。
多分にドーキンス的で恥ずかしいが、自分のgeneまたはmemeをなるべく時間軸において長く、地域軸において広く、保存、拡大するのが生の目的と限定してしまう。
geneとはすなわち遺伝子で、自分の子孫とか家族をなるべく保存しようとする傾向だ。
memeとは科学的、文化的、社会的、等、人間界における生物学的な要素を取り除いた部分における影響のことで、例えば先日亡くなったMichael Jacksonさんは、geneについてはあまり残すものが無かったが、memeについては莫大なものをこの世に残した、と考える。
大体人間の活動は、自分のgeneかmemeを保存、拡大するためのものだ、と単純化できると思う。

そこで、自分と関わる他人を、この自分の単純化された生きる目的について、寄与してくれるのか、敵対しているのか、無関係なのかで5段階に区分する。
1.非常に敵対している
2.若干敵対している
3.無関係である
4.若干寄与している
5.大変寄与している
自分の親、兄弟、配偶者、子供はすべてgene領域について5の位置にある。
子供について言えば、必ずしもそうとも言えないこともあるが、自分の文化的な傾向や、思想などにも影響される部分が大きいといえることから、gene5meme5と表記され、つまり両価値軸において最高評価であることから、自分にとって最も大切な存在と言うことになるだろう。だが、場合によっては、子育てに力を入れることで自分の本業がおろそかになり、結果として子供はmeme2の存在であったという場合もあるかもしれない。
カトリック伝道師が独身で過ごすのは恐らく家庭を持つことが自分のmeme活動の妨げになると考えているからだろう。つまり伝道師は自分についてgeneという価値を放棄し、memeのみを追求している、と言える。
自分の職場の同僚や部下はgene3meme4ということになるだろう。
世の中の大部分の人は自分にとってgene2meme3ということになるのだろう。ここでgeneが2なのは、環境破壊、犯罪など、世の中の人口過密状態は、恐らくgeneについて敵対的、と私自身は感じているからだ。
恋人というものについては難しく、retrospectiveに見なければどちらとも言えないかもしれない。例えば芸術家や詩人においては、gene2meme4という場合もあるだろう。しかし一般的には結婚し家庭を築くという方向に進むわけで、gene4meme3という場合が多いのかもしれない。
1というような厳しい敵対は、戦争とか職業上の悪い意味でのライバルとか、想定はし得るが普通はあまり存在していない気がする。しかし、通り魔、無謀運転、喫煙などの行為者もgene1に区分し得る、とも言える。
自分が大学院に進まず、自分のQOLを重視して早めに親の事業継承方向に進んだことは、geneを重視して、memeを軽視した、と捉えられることもあるだろうし、多少そのように自責する部分もある。医学の基礎研究に微力なりとも労働力を献上して、人類の健康に基礎的な部分で貢献することは、例え名前は残らなくても、meme的には大きな一歩を記したと言えなくも無いからだ。
このgeneとmemeという価値はあくまで自分を主体に考えるものだが、他の人の視点から物事を考える場合でも適用できる。例えば私の仕事は医療であるわけだが、これは明らかに他の人たちのgeneを守り、維持するための活動だ。だからこそ、必ず需要はあり、それなりに重要な仕事として扱ってもらえる領域となっている。だが、この医療を支えている科学という領域は、geneというよりもmemeに属する領域であろう。geneを守るための知識とは言え、知識はmemeに属する領域だからだ。だからこそ、医学基礎研究はmemeに属する分野となる。
さて、この基礎研究というmeme拡大方針を捨て、自分自身のgeneと自分なりのmemeを追及するために田舎に引っ込んだ私だが、しかし、果たして趣味でギターを弾いたり、ボディビルのパフォーマンスをすることがどの程度のmemeになるのか、恐らくゼロではあるまいが、非常に疑問なところでもある。
オンラインゲームは、オンライン上の人間関係をmeme4と呼べるなら、gene2meme4の行為ということになるのかもしれないが、これがmeme4なのかmeme2なのかは簡単には評価できない。


こんな風に区分して何の意味があるのか、と問われると困るが、漠然と接している実際の自分の世の中との接点を、このような単純化した価値基準で一度すっぱり切って見てみるのは、発想の転換や、新たな発見のために有意義であるような気がするのである。

*1:正しくは、ジーン、ミームと呼ぶ。寓話化する意図でこのような表題に。