マスコミは節度ある報道を。

当ブログではあまり時事関係や、政治問題は取り扱わない方針であるが、、、一言だけ。


医療崩壊の原因の一部は、間違いなくマスコミによる、医師や医療機関への過剰なバッシングにある。
これは多くの方に既に認知されている事実だろう。
医療に留まらず、何か事件があったときの、マスコミの過剰な糾弾は本当に異常なものとなっており、事実を歪め、世の中を悪くしていく方向にあると感じられる。
例えばある教師が、不良行為を働いた生徒の頭を丸刈りにして文字を作って写真を撮った、とか、老人ホームが全焼して死者が出て、防火設備に不備があった、とか。確かに感心できることではなく、あげつらわれてる人には何らかの負うべき責任があるのかもしれない。しかしそれを、さも自分たちが正義の鉄槌を下す、というような勢いで質問攻めにし、テレビや記事への露出で晒しまくる、そういう罰を与えること、は果たして本当に正義だろうか。
政治に対する批判もそうだ。私はすっかり日本の政治に興味をなくしてしまったが、その原因の多くはマスコミの報道にある、と考えている。しかもマスコミに頼らずして日本の政治の状況を知るすべは私には無い。
福田首相にしろ、麻生首相にしろ、もちろん人間だからミスも欠点もあるだろう。それは当然なことで、読み間違いや勘違いなど、あげつらうべき問題点では全く無い、と感じる。日本を良くする為にがんばっている、そういう人なら、その人の頑張りがある程度形になるまで、何とか見守って支援していくのが、マスコミも含めた、国民のとるべき態度ではないだろうか。その人が何をやろうとしているのか、その形も見えてこないうちから、いろいろ欠点や揚げ足取りで、首相を失墜させ、政権を交代させたところで、どんないいことがあるというのだろう。


ネットの世界は匿名の人々による、根拠の無い、厳しいバッシングが飛び交う世界だが、麻生首相に対してはむしろ好意的で、マスコミの批判に逆行し、麻生首相の本を買う、というような運動もあったようだ。こういう点ではむしろネットのほうが、淘汰され、自浄作用が働いた、信用できる政治判断が可能なのかもしれない。

こうしたマスコミの、刺激的攻撃的なテロップで他者を糾弾し、あげつらい、正義面をかざして、視聴率ばかりを求め、結局事実を歪めた報道をしていくその傾向を、逆に糾弾するような組織なりシステムなりが必要なのではないだろうか。