因果律

また朝食がおむすび2個の生活へ。すべては起こるべくして起こっている。
人間関係の問題で困難を感じる時、自分は自分のプライドを守るために、その人間関係から逃走する方向性を取りがちだ。それは人間関係にとってみれば建設的な解決法ではないだろうけれど、自分はこうやって生きてきたので仕方がない。これからもこうやって生きていく。

すべての出来事には原因があり、分析しきれないにしてもすべてに合理的な要因が存在する。
偶然という要素は存在しないという運命決定論
分析しきれない部分を偶然という考え方で処理するのだと分かっていても、
合理性を求める人間は決定論的な考え方になりがちだ。
なぜ合理性を求めるのか。
原因と結果の因果関係がわかって、得心がいけば、その一件は「処理済」にできるからだ。
理解できた、ということは事態を自分の処理能力のテリトリー内に収めることができたということで、
原因がわからない、ということはうまく処理できなかった、再度同じ事態が生じたとき、またなるがままに任せるしかできない、ということを意味する。
だから人は物事を因果律に当てはめて処理しようとする。それが合理性だ。