私の立ち位置

私の存在は、独我論の観点からすると世界の存在の基準であり、私の存在の消滅とともに私にとっての世界も消滅するという性質の特異点であるけれど、同時に私という存在は他者の存在を前提して成り立っているとも言え、彼我の問題は明確な二元論としては捕えられない。

また30数回目に巡ってきた私がこの世界に誕生したとされる日付が近付いてきたことをきっかけに、私が自分の世界における立ち位置として自分で捉えているものを三つの規模からまとめてみたい。

地球環境、一人類として
:「不都合な真実」で言われているように、二酸化炭素問題を中心として、地球環境の荒廃は人類の危急存亡の問題として存在するのは確かだが、私個人としてできることは、自分の生活の快、利便性をなるべく減じない方向で、環境のためにできることをすることしかできない。私のような生活態度で、地球上の多くの人間がこのまま過ごしていくことで、私の子や孫が、この問題のために非常な苦労を強いられる結果となるという見込みがあったとしても、私個人の生活の改変が、ほかの多くの人類の生活の改変に結びつくとは考えられない以上、率先して私が自分自身の生活の快を減じてまで、環境のために動くことはできない。もし、私が多くの人類に影響を与えうるような立場にあるならば、本格的に環境保護のために動くこともあるだろう。同様に、政策主導でそのような環境保護の政策が策定されるならば、それに従っていく気持ちはある。
私が環境保護のためにしていることは何か、と聞かれれば、本来であれば、自家用車として現在のローバーミニ以外に、2台目の車を購入するつもりであったが、通勤や日常生活は自転車で十分可能であるので、2台目の購入は中止しているというのが一番の対策と言えるだろうか。その他、環境破壊に結び付くような無駄な消費はなるべく排する方向で仕事も生活も執り行っているつもりではある。



仕事、地域社会の一住人として
:私の現在の仕事は、父が築き上げてきた医療現場で、透析と泌尿器科外来の診療を執り行うことである。現在私が働いている職場の建物、土地、職員はすべて父が苦労して築き、維持してきたものであり、謂わば、他人の成果の上に胡坐をかいて自分の食いぶちを得ているわけで、そういう意味で、自分が完全に自立しているかと問われると、自信がない。その点を考慮して、院長職を引き継いだとは言っても、この医療法人の資産管理、運用については、自分の意見よりも父の意見を優先することにしている。いつになれば、完全に自立していると言えるのかといえば、突き詰めて言うならば、父が死亡した後、ということになるのだろう。しかし、そこまで行かなくても、日々自分の責任で毎日の仕事を少しずつ積み重ねていくことで、患者の信頼、職員の信頼、地域の住民の信頼を得て、当院での経験年数が、大体どんなことが起こっても自分で対処していけるという自信を私自身に与えてくれるようになれば、それが自立ということに繋がると思っている。ただ、そういう目に見えない部分での自立というのは、どの時点でということがはっきりしないので、目に見える部分としては、私が開設した泌尿器科外来のみでの診療報酬で、少なくとも私の家族と外来に関わる職員の給料とが賄える程度の収入となる時点を、一つの区切りとしたいとは考えている。その目安としては、一日当たりの外来受診患者数20人というのが一つのラインだ。まだまだ、一日当たり平均0〜2人という患者数だが、着実に増えていきつつある。いずれはこの目標は達成できると考えている。
地域の中で、私には果たしている役割がある。人類全体への貢献度という点で見れば、最高学府で、最新の治療法の研究などに当たっている人の貢献に比べれば微々たるものでしかないのかもしれないが、確かにここに必要としている方がおり、その役割を果たしているという点で、双方に違いはなく、比べて卑小になる謂れのある比較とは考えない。また、私でなくてもできる仕事かと問われれば確かに私でなくてもできることだが、現在私が従事しており、その交代には多くの無駄なエネルギーが必要となる。従ってこのまま私がここでこの仕事に従事していくことが、現在のところ、この地域にとって、そしてそれはとりもなおさず、私にとって、最も整合性が高い。



価値、一個人として
:以前にも書いたが、生前に私が為し得るあらゆる事柄は、死の前に幻想であるとしても、より私が楽しく踊れる幻想のもとに私は生きたいと思う。そして、今なお私に影響を与える幻想とは、「精神的長生き」だ。→http://d.hatena.ne.jp/kabalah/20041212
この「精神的長生き」と社会的な成功、売名がつながるとは、今は考えない。この考えをきいた当時は、ノーベル賞をもらうというような社会的な成功が伴うことが、より効果的な「精神的長生き」のために必要であるように考えていた。
しかし、現在は、それが私の生きている期間内に、社会的に認められたり、あるいは社会的に認められるという方向性を持たなくても、誰か私以外の誰かに伝わって、細々とでもいいからその伝わった誰かの中で大切なものとして受け継がれていってくれる、というような、そういうか細いあり方であっても「精神的長生き」は可能と考え、さらに自分に合っているのはそういう方向での「精神的長生き」かと思うようになった。その伝えるべきものは何か、伝える相手は誰か、ということすらまだ形にはならないけれど、こうした決まり切ったように見える毎日を過ごしながらも、少しずつ自分は選好を重ねていって、自分でしか到達できないどこかに到達し、そこに幾ばくかの他人にとっても有用な価値が存在すれば、それを伝えていくことになるだろう。