くさい人

最近そばの席にやってきた人がくさい。
体臭がくさい。いわゆるワキガというやつなのだろうか。
その人がそばに来ると黄色い匂いと、喩えたくなるような、汗と関係すると思われるような、そんな嫌な匂いがする。
自分も汗をかくとシャツなどを脱いだときに匂いがするが、それはそんなに嫌な匂いではない。自然の匂いというか、自分の動物としての匂いであり、嫌な感情は起こらないのだ。
他人の汗でも、特に自分が好ましいと思っている異性の汗の匂いなら、むしろ良い匂いと感じる。赤の他人でも、気にならない汗の匂いと、嫌な匂いとがある。
違いはなんだろうか。細菌感染の有無だろうか。
医学的に、不潔とか、汚い、というのはつまり、細菌学的に汚染されているという意味だ。要は感染源となるから、「悪しきもの」ということになる。感染防御のため、本来人間は、腐ったものや、細菌が多く繁殖している場合の匂いを、「くさい」「避けるべきもの」と認識するように作られている。
しかし、細菌感染の有無、だけではとても片付けられないような、生理的な嫌な感情を引き起こす匂いがある。その人の匂いはそんな匂いだ。
恐らく、「影」の概念と同じく、自分が持っている欠点を、その人は持っていて、自分が恥ずかしくて何とか修正しようとしているその欠点を、その人は気づきもしないで、大々的に周囲に晒している。そんな人に対して、人は「恥知らず」という感情を覚える。それが「影」の概念だ。
その人は多分、私自身の匂いの中で、自分が嫌だと思う部分だけを増幅して発しているのだ。だからこのような嫌な気持ちが惹起されるのだろう。

その人の匂いは、よいにおいとはとてもいえるようなものではなく、できればそんな匂いを嗅ぎたくはない。
病気と同じく、そんな体質になったのはその人のせいではない。けれど、30過ぎたら自分の顔に責任を持て、とも言う。病気もそうだが、大人ならば、自分の体質もきちんと把握し、社会に適合するように自分なりの折り合いのつけ方というものを見つけておくべきだ。
その人は既に40は過ぎているであろう。しかし、ひょっとして彼は自分がそんな匂いを発していることに気づいていないのだろうか。
だとしたら、教えてあげるのが親切というものだろう。
遅ればせながらも自分の体質に責任を取っていただかなければならない。

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