ライオンによく似た姿だった

昨日は。
当直明けだった。4時間程度眠れたし、そんなしんどい当直ではなかったが、けだるさはあった。できれば家で昼寝でもして、時々FFXIのメリポ上げでもやるような休日を過ごしたかった、という気持ちもあった。
しかし、ここのところ雨が続いた末の、快晴であった。明るい陽光がすべてを照らしていた。
京都にいこうと思った。春といえば上賀茂神社で、今井食堂の鯖の味噌煮を食うのである。食べたくなるような新緑の森を眺め、木漏れ日に打たれながら、熟成された鯖の味噌煮弁当に舌鼓を打つ。まさに生きている喜び、日々の労働の報酬を実感できる一瞬である。妻と幼い娘も喜んでくれるだろう。そう思った。
家で軽く朝飯を食べ、洗濯など干して、かびたベッドのマットも立てて風邪を通しておいた。家族を連れて車に乗り込み、下道を飛ばして京都に向かった。多少渋滞気味の国道を車線変更を繰り返しながら、目的地に急いだ。鯖の味噌煮は相変わらずおいしく、天気がいい中、妻も子供も楽しげに遊んでいるように見えた。
けれど、なにかがおかしかった。地熱のような、むっとする暑さが、徐々に私たち家族の体に染み込んでいき、異様なのどの渇きと倦怠感にとらわれていくようになった。京都に行った目的のもうひとつであるところの藍染体験の場所が不明であったため、さつきの満開を期待して、詩仙堂などもよってみたが、全然咲いておらず、そこでの疲れが駄目押しになって、家族全員、言葉も出ないほど疲れきってしまった。
子供は帰宅後発熱し、妻は、晩飯も食べずに寝込んでしまった。
ぐずる子どもの面倒を見ながら、自分の晩飯をどうしようか考え、今日一日が結果として、あまりよくない一日になってしまったことを悲しみ、悔やんだ。こんなことなら家でのんびり過ごせばよかった、と後悔した。
自分が他人のために、たとえばそれは家族のために、良かれと思ってがんばってやったことが裏目に出る。そうするとうまく行かないことに対する腹立たしさと、やけっぱちな気持ちとで、家族に対しても八つ当たり的に腹が立つ。「可愛さあまって憎さ百倍」という言葉がある。
私ははじめ、家族のために、自分から、家族の喜ぶ顔が見たくて、自発的に、京都に行こうと思ったのである。けれど、事がうまく行かないと、当直の明けの疲れた体を引きずって、家族のためにこれだけしてやったのに、疲れたばかり言いやがって、晩飯のしたくもせずに寝込んでいることが腹立たしく、自分が労われ、報いられることの無いことが許せない気持ちになる。

無理はしないことだ。人のためを思って、結局その相手を恨むようなことになるのではしょうもないし、相手も迷惑だ。
今後は私は休日はしっかり休む。現在それだけの仕事をし、ストレスを溜め込んでいることを自覚しなければ。