17.5.2006.

誰にもわかってもらえなくても、がんばってこなした仕事というものがある。
今朝、透析で何度もシャント閉塞を繰り返す患者が、また閉塞を起こした。穿刺に使っていた静脈はすでに血栓でゴリゴリになっており、溶解できるレベルではなかった。ただシャント部から静脈に向かってスリルは無いものの拍動を触れ、シャント自体はまだ生きている様子もあった。そこで循環器内科にPTAの依頼をし、明日やってもらえることとなったので、やりやすいようにまた、本日の透析のために、肘動脈に、留置針を置くこととなった。留置針は、当然透析を行うことと、明日のPTAのために、18Gaは必要だ。通常Alineとして置かれる22Gaなどではガイドワイヤーが通らない。肘動脈といえばかなりの太さのある血管だが、それでも内腔が狭く、血流も悪い動脈に18Gaもの留置針を入れることは、決して簡単な作業ではない。
これは、泌尿器の仕事ではなく、透析の仕事であるために、私が仕事の最終ラインだ。
もともとDCMにて収縮期血圧が60とか70しかない患者で、シャント閉塞を繰り返すのにもそれが関与している。血圧が低すぎて、触診にてほとんど肘動脈の拍動を触れない。触った感覚でこれが肘動脈だろうと類推できる索状物に向かって針を進めるしかなかった。
客観的に見れば私はただ、ある患者のAlineを取ったに過ぎないのだが、これをできるのは私だけであること、できないといって他の医師に頼ることができないこと、Alineが取れなければそもそも明日のPTAも始まらないこと、これらを考えると、今朝私がAlineを取るというこの作業は、責任という面ですべて私にかかってくる、重い仕事だった。
何度かトライし、遅い朝食を取って再度トライしたところ、開始後40分で、留置することができた。
誰もが、こうなって当たり前、と思っているだろう。しかし、この状況は、私が後には引けない状況で、額に脂汗を浮かべて、なんとかこなした仕事なのだ。誰もそれをわかる人はいないだろうけれど、私はひとり安堵のため息をついて、医局でお茶を飲む。