芥川賞最新作

作者の名前の読み方が分からない。
作品の題名は「沖で待つ」。
昨日の夜読んだ。恋愛関係に発展することはないと断定された、会社の同僚で同期の男女が、お互いが先に死んだ方の相手のPCのハードディスクを破壊すると言う約束を交わす。お互い死後に人に見せたくない秘密を守るために。そしてその契約は、主人公によって果たされるのだが、死んだ方の男性が亡霊になって主人公と会話しているという、状況。
この話のミソは、死んだ太という男性のハードディスクには何が入っていたのか、結局主人公の女性への恋愛感情が入っていたのではないか、ということへの興味が残ることと、太が書いていた詩の中の「沖で待つ」と言う言葉が、作品の題名にも使われているのは、どういうことなのか、という点だと思う。
読みやすい作品だが、上記の2点について、何らかの新たな読み方ができない限り、私にとっては、何か取り立てて注目するほどの要素を持つ作品とは思えない。私自身が、自分の死後という想像になんの意味も見出せないと言う、死生観を持っているから、死んだあとに決して誰にも知られたくない秘密、などというものがそもそも感情移入しがたい。もちろん、死んだあとに他の人がその人らしくない秘密を暴かれているのを見て、嫌な気分になることはあるけれども、自分に関しては、もちろん、いま公にはできないことであっても、事実は事実なのだから、自分の死後に暴かれたところでなんということはない。その暴かれた事実を受け止める自分の周囲の人の気持ちも、自分の死後なら知ったことではない。
この亡霊という存在で死後の太と簡単に会話が成立しているのも、設定として受け入れがたく、なんらかの裏を用意するべき設定だったのではないかと思う。作品の冒頭からその設定を記述して、受け入れやすくしたつもりかもしれないが、こういう設定自体が、作品の根本のリアリティーを減じているという点は揺るがない。すべてがフィクションであっても、リアリティーと言うものが得られるためにはある程度の設定上の制限が必要だと思う。