スキスキビーム

人間関係を考える上での言葉。「スキスキビーム」。
「大人の小論文教室」http://www.1101.com/essay/で言われている「愛の連鎖」から思い出した言葉だが。
世の中には、このスキスキビームを出している人と出さない人がいる。

私がはじめてこの言葉を聞いたのは妹からだ。
妹が大学で寮にすんでいた時代の話、同室の寮生であるところの先輩から、言われたそうだ。「あなたからはスキスキビームが出てないから、一緒にいて楽しくなれない」というような趣旨のことを言われたらしい。
それが、親や他人から十分愛を受けてきたかどうかに左右されるのかどうか、それは私は知らない。けれども、他人と一緒にいる空間で、相手と仲良く、楽しくやろうという雰囲気が自然に持てる人と、すぐに臍を曲げたりやけになったりして、もうどうでもいいという形になってしまう人、もしくはそもそも一緒にいる他人に関心をもてない人、そういう人もいる。
自分はどうかと問われれば、とりあえず顔見知りで、今後も関係が続いていきそうな人といる空間では、そのビームを出すように努力しているはず、と思う。けれども電車の中とか、赤の他人との間では、そんなビームを出すどころか、何か危害を加えてくるかも知れないという警戒心で身を守っている。
単に風貌の問題を言うなら、自分の風貌はとても人好きのするものではなく、警戒心と無関心を装う表情で世間との間に盾を作っている。
スキスキビームを出せる人には感心する。それは技術であり、その人の財産であり、将来の発展可能性へと繋がっているだろう。
自分では、互酬性の法則やだまされることが気になって、なかなかそんなビームを出すわけには行かない、もしくは生まれついてそんなものを出せるキャラに構成されてない。
せめて、自分の子どもに対しては、照れや計算で歪むことのないスキスキビームを出せるはずだと思うのだけれど、、、

はじめに書きたかったことと違う内容になったけれども、この「スキスキビーム」という概念について文章化しておきたかったのでとりあえずこのままアップ。