飲み会、墓参り

今日は夕方から、大学時代の同級生と後輩と飲みに行く。耳が痛いのがつらいが、やつらとは気があうので楽しみだ。
明日は、5年前に死んでしまった同級生の墓参りに、そのころ仲良かった4人でいってくる。死んでしまった彼のことを考えるたびに、むかしの様々な楽しかった思い出とともに、彼がもし生きていれば、自分の人生にはまだまだ楽しい出来事が、いろいろと加えられていただろうにと、強く残念に思う。彼の早すぎる死を悼むというよりは、彼と過ごしていたら得られたであろう自分の快楽、その失われた可能性を悲しむという甚だ自分本位の悲しみ方ではあるが、それが彼の死を痛むということの本質であろうと私は考える。