何を持って満足するのか。

幸福という言葉は、大袈裟に過ぎるので使う機会などないのだけれども、自分が何を求めているのか、分からないままに過ごしていくならどこにも到達できない。いや、どこかに到達することが目的でもないけれども、より深化した認識と、積み重ねられた経験により到達できる、より味わい深く快をもたらしてくれる経験を、私が求めているのは確かだ。
それは、おいしい食べ物であってもいいし、自分で楽器を習得することによって初めて得られる聴く楽しみであってもいい。また仕事で、自分にしかできないようなスキルにより、困っている方の身体的不具合を解決してあげるのもいいかもしれない。
あれもこれもということでは方向性としての深化がない。したがって自分で方向性を決めてその方向に時間を積み重ねていかなければならない。
現在自分の毎日の24時間がどのように消費されているかと言うと、漠然とルーチンワークをこなす仕事に10時間、FFXIというオンラインゲームに6時間、あとは乳幼児であるところの子どもと過ごす時間が週末の時間を平日に分割して3時間くらい。これらを取り除くと睡眠とそのほか必要のある雑事しか残らない。
こうして考えてみると、深化させた経験を狙えるのは、仕事の分野と言うのが一番目標にしやすいはずであるが、いかんせん仕事というものは自分で方向性を選べるものではない。いや、選べる人もいるのだし、自分もそういう形にするべく努力はできるはずであるが、本来仕事と言うものを私はそのように捉えてこなかった。社会との共存、経済的自立、そうした外的な要件を満たした上で、自分の趣味領域が確保できる、そういう考え方で、その外的要件としてしか仕事を捉えてこなかったのだ。今後その考え方を変えることもあるのかもしれないが、現在のところはそういう捉え方に立脚しており、仕事に求めるものは、経済的な自立が成り立つことと、社会的な責任を果たすこと、それ以上の目標はない。
となると残りのリビドーを注いでいるオンラインゲームでどのように経験を積み重ねるか、ということになるが、こちらでは自分でLSを開設し、かなり楽しめているとは思う。しかし、そこでの経験の深化ということに関しては、他人がプロデュースした作品内であるという点から限界があり、芸術という域にまで達することはむずかしい。