匍匐前進

ほふく、ってこれで字あってるのかな。
子どもが匍匐前進をするようになった。這い這いではなく、足を引きずって、上肢の力で前進していく。行きたいところに向かえるようになって本人は満足げだが、こちらはより監視の労力を要求される状況になった。
人間は、直立歩行するようになって自分の進路の先に何があるかを見通し、それを踏まえた上で自分の進路を選ぶような生き物になったと言う。その結果、前頭葉が発達し、自発性、自分の意志、自由意志というようなものが芽生えたと。
私は現在、あまり見通しを持って生きてはいない。いや、経済面や家庭、社会的な自分の位置の維持と言う面では十分見通しは立っているのだが、自分の進んでいる道の大局的な意味とか、あまり考えなくなってしまった。
ただ日々を暮らし、目の前にある仕事を片付け、家に帰ればオンラインゲーム内でゲーム内の自分のキャラクターの社会的経済的勢力を増大することに自分のリビドーを費やす。そして疲れたら寝る。そしてまた朝が来て、自転車をこいで仕事に向かう。そういう日々だ。
自分の立っている位置を大局的に眺め、疑念と洞察の目で自分自身を俯瞰すると言うのが直立歩行の意義であるならば、自分は現在、自分の子どもと同じく匍匐前進中だ。
逆に大学生のころは、いろいろなことを考えた。その内容は去年の年末のころに書いたブログに現れているような境地にたどり着き、それ以降の発展はない。いろいろと考えている時代には「トニオ・クレエゲル」にあるように、考えていること自体に生の喜びは無く、匍匐前進しているような状態こそが生の充実状態にある、などとも考えていたのだが、、、
私が匍匐前進の末にたどり着くのはどこなのか。直立していないのでさっぱり見えてこない。あるいはそれは平凡な病死というような終着点なのであろう。