farewell

昨日は当科部長の送別会であった。20年近く当院で部長としてやってきた方で、私は大学での研修を終え、ここにやってきてからの5年間をずっとこの人の指導と支配の下でやってきた。まあ言ってみれば私が住んでいる山のボス猿である。ずいぶんいろいろとお世話になったし、感慨もあった。
送別会は、すぐ上の上司が結婚式場のような広間を借り、80名前後の関係者を呼んで、盛大に執り行った。身内が果たすべき最後の責務として、きちんとした送別会を開けたことは、とてもよかったと思っている。企画してくれた上司に感謝。
自分はやめていく部長の人柄の良さを演出するためのヒールとならざるを得ず、まあ、もとからそういうキャラでもあるのでうまく演じたつもりだが、そこまですることもなかったかな、とあとで後悔する部分もある。具体的には部長の竹を割ったような性格を強調するために、勤務に遅刻したことを隠蔽しようとして看破され、以後は率直に遅刻したことを申告するようになった、というようなエピソードを脚色して皆に提示したわけである。考えてみればもういなくなってしまう人の印象を、良い方向に印象付けるように残る人々に演出する意味はなく、不要な所作であった。自分は場の雰囲気に飲まれてたまにそういうことをしてしまう。ただ、別れの挨拶と彼の今後の健康を祈念するだけで十分であった。
当院、当科の歴史がこれからまた動いていく。部長が変わるということは治療方針や新たな治療法の取り入れ、専門分野に至るまで大きく変わっていく。さし当たっては、言語化不能な感覚知、すなわちこれまでの臨床経験に基づいた「勘」を基本とした治療から、EBMを根拠とした治療に変わっていくだろう。それはそれで住みにくさもあるだろうが、医療であっても契約に基づいた営業行為、経済行為なのであるから、それは必要だ。自分もそういう治療法の選択、提示の仕方に、慣れていかなければ。