libido

生きている力は何かに向かう力だ。それをフロイトは「リビドー」と呼んだ。性的な欲望と絡めて語られることの多い「リビドー」だが本来、ただの生きる力と言うようなものだと思っている。私にとってはゲームをしたいという方向、美しい景色または情景を切り取りたいという方向、美味しい物を食べたいという方向、美しい音楽を聴きたいまたは奏でたいという方向、いろんな方向にリビドーはベクトルを取っているが、それぞれのベクトルはその長さを減じている、つまりは力が衰えてきている気がする。大学生のころ、薄暗い下宿の部屋の中で、寝坊して昼過ぎに目覚め、午後の鈍い光が啓示のようにキッチンの狭い窓から差し込むのを見て、強く何かに憧れた。そういうリビドーが最近の私には無い。
日々の刺激を自分の中に溜め込み、自分の好みというものを少しづつ進めていけば、いつかまたそのようなリビドーが生まれてくれることを信じてはいるけれど。