skill up

自分がゲームが好きだから現実でのありようをゲームの中のシステムになぞらえて考えることがある。ゲームにおいてはレベルアップが重要だ。レベルアップすればそれまでいけなかったところにもいけるし、倒せなかった敵も倒せるようになる。けれども、現実においては経験値を稼いでレベルアップというよりも、スキルアップというシステムの方が近いと思う。
たとえば初めてシャントの手術に前立ちとして入ったとき、私は静脈がどれかが分からなかった。さすがに動脈は拍動もするし、張りもあるし、すぐに分かったが、皮静脈を皮下組織の中から剥離同定することが、とてもできそうにもなかった。虚脱し、ただの索状物となっている静脈を、結合織の一部として簡単に切断してしまいそうであった。
しかし、50例以上のシャントを作成してきた現在、静脈が結合織の深部にあっても鈎で2-3回そのあたりをさぐれば、静脈がどこにありそうかは分かる。皮下の神経繊維にも気づくことができるようになった。これは、シャント手術における、私の解剖認識がスキルアップしたのだ。
眼に映っているものは同じでも、その構成や意味が知識に基づいて、細部にわたって同定できるようになった、ということだ。それは「認識の深化」、とも言うべき事態で、手術領域だけでなく、風景や生物を眺めるとき、芸術作品を鑑賞するとき、自分や他人を評価するときなど、あらゆる方面において、ありうることである。手術における認識の深化が手術の成功という面で有益であるのは間違い無いが、ほかの方面においては、必ずしも有益かどうかは分からない。けれども、より深い認識が存在するならば、なるべくそれに到達したいものだと思う。それが生きていくことの楽しみだと思うから。
ゲームというのはその「認識の深化」を単純化して、数値化しているのである。本来そこで求められる楽しみは、現実におけるその「認識の深化」の楽しみと同じ方向性のものなのだ。数値自体が増えることを喜ぶのではなくて、それによって可能となる能力、スキルアップによって見えてくる新たな世界、そういうものがゲームにおいても本来の楽しみなのである。