別役実

家にある本を見返してまた詳しく考えてみたいがとりあえず、印象、覚えていることなどについて。
この人の著作ではじめて読んだものは「空中ブランコ乗りのキキ」という話だった。小学校での国語の教材だったかな。
あらすじ。キキは星空サーカスのスターで空中ブランコの名人だった。3回転宙返りができるのはキキただ一人だった。ところがあるとき、隣町の夕空サーカスのロロが3回転宙返りに成功したという。キキはがっかりし、自分がスターであるためには4回転宙返りをしなければ、と焦る。そこへ怪しい老婆が現れ、命と引き換えに4回転を成功させてあげる、といい、キキはそれを承諾してしまう。そしてキキはみなの見守る中で4回転を成功させ、姿を消してしまう。その日の夜、サーカスのテントから大きな白い鳥が夜空に悲しそうに飛んでいくのを見た人があるという。
まあ、そんな話。この話にはいったいどんな教訓というか、何が描かれているだろうか。スターであることにこだわるあまり、命を失ってしまう愚かな主人公の姿だろうか。自分の個性に独自性のためには命も顧みないという価値観の美しさだろうか。この主人公のキキは、この話の中で、結局プラスにもマイナスにも評価されていない。ただ、そういう悲しい事があった、というだけの記述でそれから何を感じるかは読者に任されている。
彼の作品はそういうものが多い。明らかに、良いこととも悪いことともいえない、けれどもそこから何かを感じざるを得ない、そういう部分をテーマとしてることが多い。
もう一つ、覚えている作品を紹介してみる。「とおりゃんせ」だったか「天神様の細道」だったかそういう題名の戯曲が、たしか「マザーマザーマザー」に収められている。ここでは、家出した青年とそれを連れ戻そうとする姉を中心としていろんなその辺にいる人々が絡んでくる戯曲だったと思う。
青年は、就職に失敗したか、仕事がうまくいかなくなったかでやめて、公園に来ていた。彼がじっとしているとある人にここにある荷物を見ておいてくれないか、と頼まれて、少しの間ということで引き受ける。しかしその場所で露店を開くつもりだった人とか、通りすがりのカップルとかいろんな人が自分の利権を主張してそこに絡んでくる。青年はただそこにいただけなのに、人の話をちゃんと聞こうとし、聞いたら聞いただけの責任を感じて彼にできること、なるべくその紛争が収まるように、暴力沙汰にならないように、言葉を尽くし、説明し、事態を整理しようと努力する。しかし、話を聞いてもらえることをいいことにそのほかの連中は自分の利権ばかりを主張し事態はどんどん錯綜していく。そういう中で、通りすがりに、精神異常者っぽい設定の、同じ質問を繰り返すばかりでコミニュケーションを取ることのできない人物が出てくる。
彼は「あなたの家の前を虎が通りましたか?」とだけ聞いてくる。それに対して「何を言ってるのかわからない」などと答えると、「「何を言ってるのか分からない」と言って虎が通ったんですか?」「「虎なんか通っていない」と言って虎が通ったんですか?」と言う調子で何を言っても「虎が通ったか」ということを聞いてくる。最終的にはその人物を殴って追い払うとか、無視することしか、人々にはできなくなるのだが、物語のクライマックスで主人公が、この人物に「いいよ、あなたのやり方はわかった。」「「あなたの家の前を虎が通りましたか?」と言って虎が通ったんですか?」と逆に聞き返す。この人物は一呼吸置いて*1、「「「あなたの家の前を虎が通りましたか?」と言って虎が通ったんですか?」と言って虎が通ったんですか?」と返す。以後延々とこれが積み重ねられた挙句に、青年はこの人物を刺し殺してしまう。断末魔の中でこの人物は「わたしはただ、あなたの家の前を虎がとおったのかどうかを、、」とつぶやきながら死ぬ。主人公は「虎は通らなかった。私は何度もそういいましたよ」とつぶやき、舞台は暗転。
これに対して何を言えばいいのか。こんな青年は多分いるだろう。彼は悪くない。彼は目の前にあること、頼まれたことに一生懸命取り組み、人の話もちゃんと最後まで聞いて、それに答える、誠実な人物だ。ただ、そこまで生真面目に対応してると、世の中がうまく回らなくなる、そういうタイプの人物だ。彼は悪い人ではない。けれども様々な悪そうな人々に囲まれて、結局一番「悪いこと」である殺人を犯したのは彼だった。これに対して何を言えばいいのか、私にはわからない。私ならそんな主人公のようなことはしないけれども、主人公がそうならざるを得なかった、そこに悲しいそういう事件があったということは、納得ができる、手の施しようのない、そういう印象。
うまくいえたかどうか分からないけれども、彼の作品にはこのようなテーマのものが多い。それを彼は不条理、というのだろうけど、不条理と言うほどのものでもない気がする。

*1:この一呼吸置く、という事がすごく緊張感を盛り上げていて戯曲として良い。この人物は、初めて自分の世界と対等に向き合ってくれる人に出会い、真剣にその危険な事態に入っていくために一呼吸入れた、と考えられる