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http://d.hatena.ne.jp/mizukinojima/20041210
自分の人生観として、私がこれまでに出会った文章で、その視点に大きく依拠せざるを得なかった、いくつかの事柄について、書き散らしたものを読んで、感想を言ってくださる方がいらっしゃることは、とてもありがたいことです。
結局自分だけが読むような、覚え書きとしての色彩が強まってきたこのブログですが、こうして読んでくださる方がいると思えば、また何か書こうという気にもなるものです。
mizukinojimaさんが書いておられた内容は、「精神的長生き」というあり方の裏、というか逆の構図ですが、確かにそれはあると思います。
担当する患者さんの中には90歳を超え、100歳近いような方も稀におられます。そういう方が「私は長生きしたが、私の同級生や、自分の子どもたちもみんな自分より先に死んでしまって、私のことを知ってくれている人がもう、この世の中にはほとんどいない。こんなことでは、生きている気がしない。早く死んだ方がいいってことですわなあ。」というようなことを言うときがあります。自分が関係を持って一緒に生きてきた人たちがみんないなくなること、それは確かに、むしろ自分の死に近い出来事なのかもしれません。
自分が死んだらどうなるのか、ということ。
永井均氏によれば、自分の死というものは原理的にそれ以後が想像不可能な出来事である以上、事態として、言及不可能である、というような捉え方をされます。けれども我々の精神は永続性、自我の存続を願うため、何らかのファンタジーが必要になる。そのような幻想が必要な人のことを彼はネクラな人、と呼びます。次回からまた「子どものための哲学対話」を引用して、ネクラ、ネアカについて考えてみたいと思います。