山月記

中島敦の短編小説。中学の国語の教科書の題材として取り上げられる。
「隴西の李徴は博學才穎、天寶の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性狷介、自ら恃む所頗る厚く、賎吏に甘んずるを潔しとしなかつた。」とでだしからしてカッコイイ。
私はこの文章に中学の授業で出会い、特に心酔して中島敦の全集をそろえ、彼の夭折を深く悲しんだ。
芥川龍之介菊池寛中島敦、とこの時代の作家が深く人の心を捉え、簡潔明朗な文章で、人生の機微を的確に表現しているそのうまさは何だろう。漢文の素養が関係しているのかな。
この話の主人公、李徴は「元来詩人として名を成す」つもりであったのだが、大して業績を上げることもできないまま、「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」によって虎と成り果ててしまう、そのいきさつを、かつての友人に話して聞かせるというのが筋。「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨かうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出來なかつた。」と。なるほどなあ、そういう気持ちわかるよなあ、と当時の私は感嘆した。まだ自分の人生がどうなるともわからない学生の立場で、すでに私は人生に対して真剣勝負に出れず、不完全燃焼のまま後悔の念を抱いている自分の晩年の姿を想像できた。それは、自分はこれで「名を成」したいと思う事柄が見つからないこと、見つからないまま親の家業を継ぐ方向で自分の進路を進めていっていることを自覚することから来る、そのような、不完全燃焼感に対する共感であった。
ここで、私の人生観として抽出しておくべきポイントは二つ。
一つは、「名を成す」という方向での世の中に勝負していくような人生のあり方が、本当は望ましい、と意識していたこと。具体的にそのころの私に「名を成す」例として思いつくのは、ノーベル賞を取るような発見をすること、小説や描いた絵が評判となり、多くの人から支持されるようになることなどであった。
二つ目が、なぜか素直にそうすることができず、自分は屈折して行っているという自覚があったこと。

こうしたことから次は、勘違い、について意識する文章と出会うことがつながっていく。いやはっきりと関連があるわけではないが、その後の展開に関わる文章となるのが「庭」である。