suicide反省

昨日の日記からお隣日記など見ていて、本当に自殺しそうになったことのある人や、境界性人格障害と自己診断してる方の日記など見てみて、そういう方にとっては自分の書き込みはあまりに無神経な記述かなと思って反省しています。
基本的な自分の立場や意見は変わらないけど、生理的に近寄らないというのはちと言い過ぎで、助けを求めるサインをその方が出しているなら、自分にできる形でお手伝いはしたいとは思います。「あなたが苦しんでいるのはむしろ身体的な疾患である可能性があり、受診によってかなり解決されることもあるんですよ」と助言してあげるくらいなら。でも、「転移」とか「逆転移」とか聞いただけでもちょっと身を遠ざけたくなる領域なんですよね、、、これはもう性格だから仕方ない。心が広く、何事にも動じず、感情的に相手に引きずられたりしにくい方がこういう領域は扱うべきです。私のような凡人には無理っす。
ふむ。自分がなったらどうするのかと。私は父親が鬱病を罹患したという家族歴を持つので、その可能性は十分ありますね。私は自殺について、完璧に他人事として記述してきました。それは私が自殺しようと思ったことがないからです。私がそうなったらそうなったときなりに自分で苦しんで家族や医学に頼ったりしながら、自分で解決していかないと仕方ないと思います。他人の身になって見ること。それは根本的にはできない相談だと思ってます。もちろん想像力を働かせる努力もしないというのではいかんと思うけど。自分に見えてる赤い色が、同じ赤さで他人に見えているという保証はない。保証はないというかそういうことについては確かめられないように私たちの言語とか認識の仕組みはそうなってる。その辺は永井均が言うとおりです。構造として確かめられないことについて、「私にはあなたの気持ちがまったく同じその気持ちのとおりに感じられる」というような発言はできない。言及できないことについては沈黙しろと。そうはいっても我々は経験の共有、共感を求めて語ってしまうのですが。それでもそういうvitalなところで明らかな虚言によって誰かを救おうとしたりしようとは思わない。そういうことによって「転移」などという状況が生じたりしたら、それは後にかえって悲惨な状況を招くと予想されるから。
なんかいろんな考えが出てきてわかりにくいですね。簡単に言えば、気休めは言わないよ、ということです。患者様の気持ちに寄り添え、とか、患者が自分の家族だと思って診療しようとか言う人もいますが、それは無理です。たかだか30年程度の人生経験で、自分よりずっと年上の患者さんの気持ちを理解できると思ってないし、また、家族を診療するとなると、余計な感情とか副作用を過度に恐れる気持ちとか出てきて、かえって冷静な判断、正確な治療ができません。また、いちいち相手の心の中にまで分け入って診療してたら、とても身が持ちません。だから私は白衣でもって患者さんの心とは距離を取ってる。そのほうが確実に患者さんの体に生じている問題と向き合い、対処できるからです。心の問題にはやはりその道の専門家をご紹介するのでそちらでよろしく。
自分の家族とか、身近な友人に生じた問題で、自分との関係によって生じた心理的な問題であれば、その解決のために、心理的に、関係改善を試みる方向で対処すると思います。そしてそれが一見心理的な問題であるように見えて、実は身体的な問題(鬱病とか)であれば、もちろん専門家の医療を受けるように勧めます。
私はそうしてやってきたしこれからもそうすると思う。