偽善という言葉の欺瞞

ボランティア活動など、他人のために活動する人々に対して、
偽善、という言葉が使われることがある。
これにはいつも違和感を抱いていた。
偽善という言葉で言おうとしていることがいつも的外れであるような。


そして最近になって思うのは
偽善、ではなく、そのような人に褒められるような行為を、
本当にあなた自身の意思でやっていますか、という問いかけが
偽善という言葉が本来問っている内容ではないか、と思うようになった。


誰に褒められなくても、自分がやりたい、と思うような行為が本当に自由な行為ではないか。
褒められて、うれしく、互酬的にその行為を選択する。それもまた自由な意思なのか。


自覚せずに、褒められることを求めて、本来自分が望んでいない行為をしていないか、
本来自分が使うべき場所、目的以外に、労力や時間を使ってしまっていないか。


偽善という言葉で、本来問うべきは、それが善かどうかではなく、
自由な行為なのかどうか、ということではないか。