野菜は食べなくてもいい

もう、このブログもFacebookのためのネタ帳となりつつある。
いずれFBにアップするために、ここに考えたことを試しに書いて、
のちにFBに清書する、という仕組み。

さいころから野菜が嫌いだった。
給食に出るまずい野菜がどうしても食べられず、飲み込もうとすると嘔吐反射が出た。
それで結局昼の30分休憩はみなと遊ばず、担任が出ていくまで教室の掃除があっても、ずっと膳を前にして座って過ごした。
5時間目の直前に給食室に膳ごと返しに行くのだった。


大人になり、酒を飲むようになって、味覚が変わったのか、多くの野菜が食べられるようになった。
特に永田農法で畑で採れたばかりの野菜はとてもおいしい。スナップエンドウとか、アスパラガスとか、鍋に入っている白菜とか、かなりおいしい食べ物だと今は思う。
今でも食べられないのは、セロリ、ネギ、シイタケのような匂うもの、キャベツ、レンコン、フキなど繊維が口の中で目立つもの、ナスの内側、トマトの内側などどろりとした食感のもの、という具合にちゃんと理由がある。


野菜を食べずによく20台まで生きることができたなあ、と感心されることがある。
当たり前だ。野菜に含まれていて、人体に必要な栄養素は、すべて野菜以外からも摂取可能である。
ビタミン、食物繊維に関しては果物から美味しく、十分に摂取できる。
確かに糖分の吸収を遅らせる効果など、野菜には健康に良い点がたくさんある。
けれども、採らなければ死んでしまう、というものではない。
嫌がるものを無理やり鼻をつまんで食べさせるほどの必要性は本当にあるだろうか。


あるいは、戦時中など、食べ物が乏しかった時代の世代が、どんな食べ物でも大事に食べなければ、飢饉が来た場合に生き残れないので、多少まずくても生きるために、食べる、という発想が生き残っているのかもしれない。
あとは、虐待の連鎖と同じ仕組み。自分がさせられた苦労は、どんなに不合理なものであっても、自分の子供にもさせずにはおれない、親の不合理な業。
子供が味噌汁の具を残すなら、残さない別の具材を探してみよう。もちろん、好き嫌いがすべて通る、わがままな人間になればいいというわけではない。でも、鼻をつまんで食べるような食事を毎日していて、その子が好き嫌いを無くしていけるとして、本当にそれはその子にとって幸せなのだろうか?中学までは私もそんな苦労をしてきたが、中学以降は好きなものだけを食べてきて、これでも健康に、平均以上の身長、体格に恵まれたと思っているし、そんな苦労をしなくても自然に食べられる野菜は増えてきた。
食べず嫌いはいけない。見た目などで敬遠していたけど、本当はすごく美味しいものを味わう機会を逃していたとしたら損失だ。だから誰かがおいしいといって勧めるものは、一度は何でも食べてみるべきだろう。そして、たまたまカルキ臭いキャベツだった、とか、運が悪く、悪い食材に当たってしまうことも考えて、何度か質の良いものであれば試してみる寛容さは持つべきかもしれない。
しかし、嫌なものを、嘔吐反射を抑えながら食べる必要は、まったくない、と私は考える。