鯨は魚

久々にこちらから引用してみる。

子どものための哲学対話

子どものための哲学対話

こんな風に、的確に、世界の不思議なしくみを抽出できるようになると楽しそうだ。

ペネトレ:クジラは魚のように見えるけど、ほんとうは哺乳類で、魚じゃないってはなし、聞いたことある?
ぼく:もちろんあるよ。クジラは魚のようにえらでじゃなくて肺で呼吸するし、魚のように卵の形で子供を産むんじゃなくて、クジラの形で産むんだよ。それで、産まれてきた子どもは水中で母乳を飲んで育つんだ。だから、クジラは魚のように見えるけど、ほんとうは哺乳類で、魚類じゃないんだよね?
ペネトレ:でも、その逆のことも言えるんじゃないかな?
ぼく:逆?
ペネトレ:つまり、そういう点ではクジラはどうしても哺乳類のように思えちゃうけど、肝心な外形や生活環境が魚みたいだから、ほんとうは魚なんだって言ったら?
ぼく:なんで外形や生活環境のほうが肝心なのさ?
ペネトレ:そんなら、なんで内部のしくみのほうが肝心なのさ?
ぼく:だって外形のほうがだいじなら、ほんものと見分けがつかないようなにせもののダイヤモンドは、ほんもののダイヤモンドだ、ってことになっちゃうよ!
ペネトレ:そうなんじゃない?とくに宝石なんて、見かけの美しさこそがいちばん肝心なんだから。内部構造はぜんぜんちがうけど、いちばん肝心な見かけがおんなじだから、ほんとうはダイヤモンドなんだ、って言えると思うよ。
ぼく:そんなの、なんかおかしいよ。
ペネトレ:それはきみが科学に洗脳されているからだよ。科学っていうよりももっと根本的な、ある種のものの見かたにだな。見かけや外形の奥にかくれているものこそが、その物のほんとうの姿である、っていうような。
ぼく:そうじゃないの?
ペネトレ:それは、ひょっとしたら、奥にあるものを知っている人が知らない人たちに対して権力を持つために作り出した作り話だったんじゃないかな?みんな、うまくだまされちゃったのかもしれないよ。
ぼく:まさか!
ペネトレ:でも、分類のしかたによってはクジラは魚でもあることは、たしかなことだよ。外形や生活環境よりも内部のしくみを重視する前提があってはじめて、クジラはほんとうは魚じゃないなんて言えるんだ。じゃあ、なぜ内部のしくみのほうを重視するのかっていえば、それはぼくらがそういう文化の中に生きているから、としかいいようがないんだよ。いつか人間たちが、クジラはやっぱりほんとうは魚だったって思うようになる日が来るかもしれないんだ。

来るかな?そんな日。確かに権力のための構造かもしれないが、その権力によって構造化された社会で恩恵を蒙っている身としては、それをひっくりかえすような力の使い方はしない。私が生きている間にはそんな日は来ないかも。