トトロを見て泣く

年を取り、涙もろくなった、という話。
高校生くらいの頃、映画を見ては泣く親を見て、「耄碌したものだ」と感じていた。
自分もしっかりそうなった。これは恥ずかしいことだろうか?
どうもよく分からない。恥ずかしい気もするし、自然の経過であり、どちらかと言えば豊かさと言うべきものかと思いなおしたりもする。
ただ、昔は子供向きの映画と思い、昭和初期のようなレトロ感と幻想とリアルの混じり具合の不思議、作画の美しさを中心に楽しんでいた「となりのトトロ」。
いま、3人の娘の父親となった自分には、母を想う子の気持ちとか、お互いを思いやる姉妹とかの気持ちがとても身近で、強い思いとして感じられて、どうしても涙が出てしまう。
トトロや猫バスの幻想性など、自分にとっては見どころではなくなり、メイがトウモロコシをしっかりと守るその気持ち、その周辺ばかりがクローズアップされる。
自分はこうして、ただの父親になったのか。利己的な遺伝子の使命を着実に果たす、忠実な乗り物になり果てたのか。これは自分の望んでいた成行きだったか。
わからないが、子供と、家族と毎日を楽しく暮らしていきたい。願うのはただそれだけだ。